キリシタンと、鄭明析先生の意外なつながりを考察! by OVN

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名古屋摂理のOVNです。
今回はキリシタンと、チョン・ミョンソク先生の意外な、つながりについて、お話します。
今から約400年前の安土桃山時代、日本で初めての神学校が造られました。そこで学んだキリシタンの中には、「二十六聖人」として長崎で殉教した人たちもいました。亡くなる前、極限の中でも、国のために祈った記録があります。
それほどまでに、その神学校で学んだキリシタンたちは、神様を熱く信じていました。
時代の情勢により神学校は廃され、その場所にキリシタンたちがいたことなど、忘れ去られるようになりました。
しかし、時を経た、今から約100年前、同じ地に米国人伝道師、ヴォーリズが来日するようになります。
かつてキリシタンたちが、熱く神様を愛したからこそ、その祈りがあって、神様がヴォーリスを来させたのかもしれません。
彼は熱心に、神様のことを伝え、また実業家としても活躍しました。今日、リップクリームなどに使われている、「メンソレータム」を日本に広めた人でもあります。
ヴォーリスは建築家としても活躍し、多くの作品を残しています。同志社大学の講堂や、洋菓子店「クラブハリエ」も店舗のひとつに、彼の作品を使っています。
そして、お隣、韓国ではソウルの「梨花女子大学」の本館も、ヴォーリスの設計です。
実はこの梨花女子大学、摂理創設期に福音が伝えられた大学のひとつなんです。
キリシタンの祈りをリレーするかのように、ヴォーリスが来日し、ヴォーリスの祈りが込められている梨花女子大学に、福音が伝えられました。
偶然にしては、いろんなことが重なっています。
彼らの祈りに引っ張られて、ミョンソク先生の福音が伝えられたのでは、と思ったりもします。
OVN