主日の御言葉「最後の教えと会合」

11月8日は聖餐式の礼拝でした。
主題の「最後の教えと会合」とは、
救い主が人類の罪を贖うために十字架にかかる直前、最後に愛する弟子たちと共に食事し、
その心情を語られた、最後の晩餐を指します。
聖餐式とは、その日を忘れないように記念し、悔い改め、また新たな決心を誓う日です。
核心は最後の晩餐をしたことではなく、私たちの罪の代わりに死んでくださったから、
その方の体になって生きようと決心することが核心です。
なぜ過去を振り返るのでしょう?
<過去のこと>を通して<現在>自分がどう生きるべきかを知ることができるからです。
1:9先にあったことは、また後にもある、
先になされた事は、また後にもなされる。
日の下には新しいものはない。
1:10「見よ、これは新しいものだ」と
言われるものがあるか、
それはわれわれの前にあった世々に、
すでにあったものである。(
伝道の書1章9-10節)

神様の歴史も個人の歴史も過程のなかにあっては分からないことも多いです。
現在進行中だからです。全ては神様にしか分かりません。
ではどうしたらいいのか?
神様は、最後まで共にすればわかるとおっしゃいました。
最後まで行ったら目に見えるから、確認することができるから、
正しいと認めていくことができるとおっしゃいました。
神様の歴史も、盲目的に信じるのではなく、自分が確認してこそ、
最後までいくことができるのです。