愛と平和のサッカー by Heidi

わたしが非常に苦しい時期がありました。
親から反対を受けたときのことです。
鄭明析牧師が伝える御言葉を聞いて、わたしは神様を信じるようになったわけですが、
親にはそれを反対されたわけです。
御言葉を聞き始めて、半年ほど経ったころです。
ネット上の摂理以外の人が書いた情報を見て、反対しました。
摂理にいるわたしの言葉は聞きませんでした。
でもこのことを通して、
わたしは主の心情を知るようになりました。
わたしは一人の部屋で涙して祈っていると、
ちょうどわたしに御言葉を教えてくれていた人から電話がかかってきました。
その翌日に摂理のメンバーでサッカーをすることになりました。
鄭明析牧師は世界平和のために国際大会を開かれました。
彼はいまは不当といえる裁判によって、その身に自由がないから、
「わたしが彼の精神を受けてサッカーができるように」と神様に祈りました。
サッカーをはじめる前、
わたしたちが集まったところに100円玉が落ちていました。
「この100円は今日のMVPの手に渡るようにしよう!」
ということになりました。
試合が始まり、わたしは一度もサッカーの試合をしたことがありませんでしたが、奇跡的に得点を2点いれました。そして、わたしはその試合のMVPになりました。
100円はわたしのものになったわけですが、もらった100円のためにまた祈りました。
「わたしの力でMVPにはなれませんでした。
神様が祈りを聞いてくださったから、MVPになりました。
この100円玉を神様が願う通りに、尊く使えるようにしてください。」と祈りました。
この100円を最も必要としている人にわたる気がしたので、
寄付しなさいということか?
それとも
何か買おうとしてちょうど100円が足りなくて困っている人に合うのだろうか?
と思いました。
日が暮れて、「ああ、結局この100円は使い道がわかりません。。。」
と考えていました。
そのとき駅の改札前で切符を買おうとしていましたが、
まっすぐわたしのほうにむかって歩いてくる人がいました。
それはホームレスのおじさんでした。
驚いたのは彼が言った言葉です。
「100円めぐんでください。」
と言いました。
わたしは唖然として、すぐに財布から100円出して渡しました。
あまりにいきさつが尊くて、実際にひろった100円は渡したくないので、別の100円を渡しました。
その瞬時の判断はできるくらいの冷静さは保っていましたが、
驚きと興奮が爆発しそうでした。
偶然というにはあまりに衝撃的なできごとに、
わたしは神様への信仰心を増し加えられ、力を受けました。
反対されたとしても、神様は存在しているし、わたしの祈りを確かに聞いて働いてくださっているとわかりました。
まさに「愛と平和のサッカー」が、この出来事でコンプリートしました。
わたしは鄭明析牧師の「愛と平和」の精神を受け継ぎたいと思います。
それはわたしが彼の御言葉が正しいことを、ネットの情報でも、他人の言葉でもなく、
自分の生の中で確認できたからです。