<時代の御言葉を聞くこと>で「新婦の装い」だ。
<行なうこと>で「新婦の装い」だ。
<学ぶこと>で「新婦の装い」だ。
<新婦の装い>とは、「自分を作ること」だ。2019年8月18日 鄭明析牧師の御言葉
先日、鄭明析先生が「装うこと」について御言葉を伝えてくださいました。
「花嫁は装わないとみっともない」とおっしゃいながら、結婚した新婦がドレスを着て化粧もして美しく装うことを例えにしながら、信仰的な装いについて教えて下さいました。
その例えが面白かったのですが笑
それを聞きながら浮かんだのが下の部分のイラストです。
以前は毎週のようにイラストを描いていましたが、最近は他にも描くものが色々あって忙しく、毎週は描けないので、
「描くべきものは構想が浮かぶように」
と祈っています。
構想がないと描けないし、感動もないと描けません。
今回は御言葉聞きながらイメージが強く浮かんで、描きたい感動も来ました。
しかし下の部分だけだと、肉的な装いの話で終わってしまうので、
信仰的な装いと結びつくような絵の構図を色々と考えて、今回のような形になりました。
説明の文章にあるように、
<時代の御言葉を聞くこと>で「新婦の装い」だ。 ←左の絵
<行なうこと>で「新婦の装い」だ。 ←右の絵
<学ぶこと>で「新婦の装い」だ。 ←真ん中の絵
という内容を、絵の上の部分で表現しています。
絵だというのに、右下の女の子を綺麗に装わせるのはとても楽しかったです笑
このように、神様も御言葉で私たちを美しく作るのが楽しく、とても嬉しく、甲斐があることなのだなと思いました♫
まだまだ私も装う部分が多いですが、
諦めずにもっともっと磨いて、自分を作っていきたいです(^▽^)
MiK