岐阜県・美濃加茂汚職判決の無実について、摂理人ソルティが思うこと

摂理20140207
名古屋摂理のソルティです♪
最近、岐阜件美濃加茂市の汚職事件に関して、藤井浩人市長に無罪判決が言い渡されましたね。
参考:
美濃加茂市長に無罪判決 贈収賄事件で、名古屋地裁 (2015年3月5日)
http://www.asahi.com/articles/ASH3151Q9H31OIPE00V.html
「侮辱するような取り調べ」美濃加茂市長、無罪受け会見 (2015年3月6日)
http://www.asahi.com/articles/ASH35521YH35OIPE021.html
基本、(摂理に来る前からも)ソルティはメディアを信じないこともあり、最初に事件が指摘された時から、「なんだか揚げ足とられてるんじゃないかな…」と感じていました。
実際、藤井市長と関わりのあるソルティの友人、知人らが、Facebookやtwitterで無罪を主張していたりもし、早く真相が突き止められるといいと願っていました。
すごく信頼できる友人、知人だったので、これは、何かあるのではないかと…。
そんな中での、無罪判決。
贈収賄事件は「密室の犯罪」とも呼ばれ、当事者の供述や証言に大きく依存することから、直接証拠がとても乏しいと言われています。
今回の判決では、唯一の直接証拠が、「藤井市長に賄賂を渡した」とする贈賄側の中林受刑者の供述。
この供述の信用性が否定されたことが無罪判決につながりましたが、事件に着手した際は、銀行口座の出入記録や知人証言などの間接的証拠を積み上げることで、「なかったこと」が「あったこと」として供述が補強されていったそうです。
肝心の賄賂を渡した場面の臨場感は、欠如していました。
それでも、メディアが事件を大きく取り上げることで(特に週刊誌とか…)、事実を知らない多くの人たちは、無罪判決が言い渡されるまで、藤井市長のことを誤解してしまっていたことでしょうし、イメージの低下を招いてしまったことでしょう(すべての人がそうでないことを願いますが)。
根拠のない供述が、いかに当人を苦しめ、また世の中への誤解や混乱を招いてしまうか、また報道の責任の重さについて、今回の事件を通して考えさせられました。
三位一体は<義>も<不義>も正確にすべてご覧になる。
ちょうど秤にかけるように一つ一つ量って、正確に計算なさる。
公義の三位一体でいらっしゃる。

詰まるところ、真実な判決を下すことができるのは、神様だけではないかと思います。
悪は必ず明るみに出て、善だけが残るということを、この事件を通して神様が私たちに教えて下さったような気がしています。
こうした供述や証言による、根拠に乏しい事件には、要注意ですね。
ソルティ