摂理の名古屋嬢エステルです☆
建築分野の中で住環境教育という分野があります。私の大学時代の研究テーマです。
住環境教育を推進する立場としては、 『「建築」は、衣食住の一つ。そして、建築を学ぶことは、デザインはもちろん、数学や社会、理科の知識や社会性、コミュニケーション力など様々なものの育成につながる。しかし、日本の教育において、「衣、食」に比べて、「住」つまり「建築」を学ぶ時間はあまりにも少ない。もっと増やすべき』 という前提があります。
私は大学時代、よく、建築教材をつくって、小学校にワークショップにいったり、公園を視察したりしていました。
当時から、どうせ研究をするからには、何か神様の役にたつものを、と願っていましたが、そこまでこれ!というものが見つからず、もがいていました。
住環境教育も面白そうだとは思いましたが、これがどうしたら神様の役にたてるのか、答えを見つけられませんでした。 確かに日本の教育は、学問を応用する機会が少ないなあとは感じていたけど…。
なので、摂理で研究について聞かれるたびに、なんとなく後ろめたい気持ちに。。。
しかし、2014年、新たな発見がありました!!!
それは、「御言葉を教えること、学ぶこと」が、すなわち「住環境教育」ということに気がついたのです!!
イエス様は大工なので、聖書には建築でたとえて教えてくださった御言葉がたくさんあります。 例えばこちら。
それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。 岩を土台としているからである。また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである。
(マタイによる福音書7章24〜27節)
また、鄭明析先生は聖地月明洞の開発を通して、たくさんの御言葉を伝えてくださっています。
最初はセメントの階段に構想して実践していたが、やり直して神様の構想を実践した。 一回目はある地域に石灰石があって、その地域の石灰石を運んできて立てた。そうしたら冬に石が凍って、春になって割れた。 二回目は大理石の彫刻を運んできて立てた。しかし薄く、軽くて、石が前に偏って、バランスが崩れて倒れた。 もう一度壊して、三回目には石の鉱山で石を買ってきて、立てて積み上げた。しかし 石を急勾配に立てたので、石が重さをすべて受けて重力に耐えられず、崩れた。 四回目にまた立てた。今度は勾配を緩めに立てた。しかし基礎が弱くて、梅雨になったら崩れた。 五回目には、地面が出てくるまで土を掘り出して石を立てた。 そして、六回目に神様が本来見せてくださった構想通りに完成した。「六」の数(すう)は終わるオメガの数だ。終わりの数だ。全部立ててから見たら、美しく神秘的で雄大でよかった。 神様も六日で天地創造を終わらせた。六日で創造したということは、六段階を経て創造したということだ。 「もう一段階いい構想の実践」は天が地より高いように、とてつもない差がつく。
(2013年2月6日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)
このように、御言葉を本当に理解するためには、建築に目を向けざるを得ません! (しかし、あくまで建築はたとえで、核心は異なります)
やはり大学生活で研究したことも意味があったんだな〜、神様は祈ったことは必ず教えてくださるんだな〜と感動しました!!!
これからも御言葉をたくさん伝えて、住環境教育もして、神様の願いをこの地になしていくぞ~!!
写真:Mannam&Daehwa
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