摂理の御言葉で変化したシリーズ「神様を愛するようになったこと」by Heidi

わたしが摂理の御言葉を聞くようになって変化したこと
シリーズです。
あからさまに話しますと、
わたしが変化したことをかく理由はただひとつです。
わたしと同じような境遇に立たされている人に、
ぜひとも摂理の御言葉を聞いて、神様を信じて、愛して、従ってほしいからです。
それ以上でも、それ以下でもありません。
このようにネット上で叫んで、
ひとりでも多くの人がこの摂理の御言葉を聞いてほしい想いで書いています。
前回は「時」を知るようになったことでしたが、今回は、
「神様」を信じるようになったことです。
もう少し言うと、
「神様」を愛するようになったことです。
御言葉を聞くまでは「神様」という存在に対して漠然としていました。
「いるんだろうな〜」
くらいに思っていました。
神様がいたところで、自分とどういう関係があるのかはわからなかったです。
正直、そこまで考えていませんでした。ふとした瞬間に神頼みするくらいです。
御言葉を聞き始めたときは、
非常に神様という存在について知らなかったから、
学ぶたびに、次々に疑問が湧き出ていました。
「ん〜なぜ、神様がいるのにこの世界は平和ではないんだろうか。
なぜこんなにも戦争をして。
神様がいるのに、善人でも事故に合うひとがいたりとか。
非常に不平等な世界だけれども、神様がいるならもっと公平で幸せな世界であってもいいんじゃないかな。」
とか考えていました。
多くの人がわたしのように考えても、
答えに行き着くまで考えられる人はいないです。
行き着いたとしても自分なりの解釈だったり、自分なりの答えです。
だから納得いく根拠がないです。
わたしは、
「自分なりの解釈や答えがいかに根拠がないか」が、よくわかります。
なんでかと言うと、
わたしが、非常に国語力が乏しいからです。
センター試験の国語、特に小論文は非常にいつも点数が低くかったです。
筆者の心情は全く考えませんでした。
だから、選択肢をことごとく間違えました。
「この部分の筆者の心情にふさわしいものを選びなさい」
とかいう問題ありますよね?
わたしの感覚で、「これだ!!!!!!!」
と思うものがあります。
でも、きれーーいに間違えていました。
「センター国語必勝法」とか読むと、
「文章中に根拠をみつけて、自分の解釈ではなく、筆者や登場人物の立場で心情を読み解きなさい。」
とか書いてあります。
でも、それが非常に難しいんですよ!
わたしは半年かけてセンター国語を克服しようとしたけど、できず、当日も玉砕しました。
聖書は神様の心情が隠されています。
なぜなら、
人によって書かれたものではなくて神様が人間の肉体をつかって
全世界にメッセージとして書き記したものだからです。
筆者は神様です。
だから、神様の心情を読み解かないといけないです。
しかし、
人間の心情ですら、読み解くのが難しいのに、直接会って話しをしても分からないのに、
神様の心情を読み解くには、
ぬい針の穴に、まんじゅうとか、ハンバーグとか、スイカとか、地球を通すくらい不可能に近いことです。
でも、その不可能に近いことを、
ひとつしかない、正しい「答え」を教わりました。
つまり、神様の心=正しい答えを教わりました。
それは、正しい「答え」に行き着くまで、
絶対的に神様側に立って、
その心を知りたいと切実に願い求めて、
実践してみて、
最後まで諦めないで、
神様の心である「答え」、
つまり真理を、
神様の心を動かして、受け取ってくださった鄭明析牧師、
一人がいたからです。
聖書の中にかかれた根拠をはっきりもって、
自分の生をもって、
その「答え」の正しさを証明してくれた方がいたからです。
学びながら、神様に対する「誤解」が少しずつ解けていくのを感じました。
わたしは恐ろしい「誤解」をしていたことに気づいて、
神様に対して、非常に申し訳なく思いました。
よく刑事ドラマとかで、
表には現さないけれども、自分のことを愛してくれていた人を、
誤解して、憎んで、
殺してしまってから、
刑事に「あなたのことを想っていたようですよ」
とか言って、その証拠となるものを見せられた犯罪者が、
泣き崩れて、自分がしたことを後悔するシーンとかありますよね?
あれをみるといたたまれない想いがしませんか?
ドラマなのに。空想なのに。
架空の世界の話でさえ、
「ああ、なんてことをしてしまったんだ、この人は。なんで確認しなかったんだ。
もっと信じてあげたら、ふたりは幸せになれたのに。」
とか思います。
でもそこのあなたが、神様に対してそのような誤解をしていたらどうですか?
わたしは、そのひとりでした。
神様に対して、してはいけない誤解をしていたことを本当に認めます。
だから間違った行動を生活の中でしていたし、
神様の心をナイフで刺すようなこともしていました。
だからいまは本当に、神様に対して後悔して、その後悔が力になって、
いままでできなかったことも含めて神様を愛したくて、
この摂理の御言葉をまだ知らない人たちに知らせなければ
という想いに変わっています。
だから、
神様に対して誤解しないでください。
「誤解している」ということを教えてくれる人に学んでほしいです。
わたしも学ぶまで知らなかったから。
ひとりでも多くの人がこの摂理の御言葉に出会って誤解が解けることを願っています。