生きるイミ by Heidi

「なんで生きているんだろう?」
という素朴な疑問に、
明確なこたえがあること
を知れたことが本当に奇跡のようなことだと思います。
わたしが中学生のときはそういうことをよく考えたんです。
でも大きくなるにつれて、
諦めたのか、忘れたのか、気づいたらそういうことを考えていませんでした。
でも人生において、もっとも重要な問題だと思います。
学校帰り、疲れて帰ってきて、
つっぷした机の上にコップがありました。
目の前のコップをみて、
なんで、このコップがあるんだろう?
と考えました。
飲むため
というこたえがありました。
続けて、なぜ飲むのだろう?
と考えました。
生きるため
というこたえがありました。
続けて同じように考えました。
自分の家はなんであるんだろう?
暮らすため
というこたえがあって、
なぜ暮らす必要があるか考えると、
生きるため
というこたえが出てきました。
目の前に広がっているすべてのものについて考えました。
机、お皿、お箸、ノート、空気、雲、太陽
何を見ても、
「生きるため」
というこたえに行き着くのがわかりました。
それで、
なぜ生きるのだろう?
というこたえは出てきませんでした。
多くの哲学書や、エッセイには、こたえらしい答えがありますが、
それはその人、個人が考えるこたえであって、
「真理」ではないから、
自分に与える影響がありませんでした。
高校のときに
朝の時間に本を読んで、短い小論文をかく時間がありましたが、
「宇宙」についてかかれた本を読んで、
あまりにも壮大だったから、
本当に、「小さな自分が生きる意味」を疑問に思いました。
にわたしは、こう書いたのをおぼえています。
「意味はないのではないかな、と思います。」
でもいま、
鄭明析牧師の御言葉を聞いて、学ぶようになって、その自分の考えが180度変わりました。
「生きる意味」について聞かれたら、
「思い切り、とてつもなく、これ以上ないほど、生きる意味があります。」
と言えるし、
「わたし自身が存在していること」について聞かれても、
「思い切り、とてつもなく、これ以上ないほど、生きる意味があります。」
と言えます。
本当に変わりました。
わたしはなにもしていないけど、御言葉で変わりました。
考えが変わったので、生が変わりました。
だから、もっと多くの人にこの御言葉に出会い、
人生の価値を取り戻してほしいと、ほんとーーーーーに願います。