念願!玄関看板の経緯

久々の摂理の名古屋嬢エステルです★

ついに!!
主の栄光教会の看板が取り付けられました👏

教会の皆さんは、ここ1年くらいで検討されたと思っていると思いますが、実はもっとずっと前から検討していました。

真剣にデザイン案を制作して、今回は3回目なのです!
3回目、約4年の歳月を経て、やっと実現したデザインです👏

 

初めて看板デザイン案を作成したのは、献堂礼拝が終わった直後2019年7月。

特に、看板のコンセプトなるものはなく、今の教会デザインにあう看板をつくってほしい、という牧師さんからの依頼でした。

結局、看板デザイン案をつくったものの、看板の付け方について教会内部で色々な意見があることが明確になり、進めることができず。

(こちらがデザイン案)

まさしく聖句どおり。

イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。」
(マタイによる福音書12章25節)

 

2回目は、2021年7月。教会を外部にもっとアピールしていくため、看板を設置しようという流れが出てきたのがこの頃。既に、デザイン側としては前回のデザイン案の制作後に出てきた意見を反映した案や教会ロゴをつくっていたことと、牧師さんも新しい牧師さんに交代していたため、とりあえず見積もりを出してほしいという依頼でした。

(こちらがデザイン案)

(上の写真の赤枠に下のデザインの旗をつける)

しかし、見積もりを出した後、教会のブランディングが決まり、そのブランディング結果が教会ロゴがあわなかったため、再度教会ロゴと看板デザインをつくりなおすことに。

 

それでやっと出来上がった教会ロゴと看板デザインがこちらで、これが3回目。

ブランディングにより、教会コンセプトを教会全員で共有した上のデザインなので、もう進むしかない状況。これぞ神様の時!!!

 

しかし、このデザインはあくまでデザインなので、これをいかにイメージどおり素敵に仕上げるかというのが私の仕事。

 

しかもデザイナーのイメージは、「ガラス」なので、これまた高いハードル。まちなかにガラス素材の看板はほとんどない。素材選び、仕様、色の出し方、施工方法など、見た目はもちろん、安全性や耐久性を考慮して、設置しなければならない。

 

まず、岡崎のガラスの工房にいって、教会内部だけでなく、工事に関わる関係者全員でイメージを共有しながら、具体的な検討を進めていく。
(岡崎にこんな素敵な工房があるとは知らなかった!さすがものづくりの愛知県!)

 

(デザインにあうガラスのイメージ共有)

(どの位置につけるかの検討)

 

特注サンプルも複数枚製作!
1回だけでは足らず2回!
(サンプルの製作だけで一ヶ月かかる)

現地に置いて、光の当たり方、透け方、色の出方など、何度も見比べて相談して決めていく。

 

(何度も修正した施工図)

 

そして、、、やっと出来上がった特注看板!
感動!こんな看板、見たことない!!

 

取りつける業者さんは恐る恐る作業していく‥

私は、固定用のアンカーをうつときに、壁のタイルが割れるのを心配して、在庫を確認したり‥
(無事タイルが落ちることなくアンカーは打てたけど、若干ひび割れたので後で補修)

 

取り付け時は接着剤が固まっていないので、ぐらぐら‥。ほんとにちゃんと固定されるのか‥?!

 

しかし、一晩おいたら‥、しっかり固定されていた!!!

完成!!!

 

しかしここで終わらない!
さらに看板をよく見せるためには、照明をプラスしようということになり、検討開始。

仕事をやり終えて、もう少しだけやれば、全体が輝き、完全になる。
(2023年1月25日摂理・鄭明析牧師の御言葉)

 

照明はとても難しい‥
シュミレーションはするが、実際は光らせてみないとわからない‥

 

元々あった既設のダウンライトをスポットライトに交換して看板を照らす予定だったが、交換してみると‥看板に当たらない!!!

 

照明の位置を変更しても‥当たらない!!

後日、もう一つ照明を準備し、再度トライ!

暗くなる時間に工事をしてもらい、業者と私で確認すると‥ついに看板が照らされる!!!

おー!!!

 

そしてついに完成!!!

念願の看板!!

ここに記した以外にも、途中で看板が追加され、そのデザインや配置との調整に苦しんだり、もっと玄関の照明を追加してほしいという要望がきたり、心に荒波が押し寄せることも多々ありましたが、

妥協なく、もっとよく、もっとよく、作り上げた看板!!!

2023年、主の栄光教会が、一層、光り輝く年となりますように!!!

「立ちあがって光を放ちなさい。あなたの光が至った。」この御言葉は、誰でも自分が置かれた環境で勤勉に熱心に行なって、過去得られなかったものを得て光を放ちなさいということだ。
(2023年2月11日摂理・鄭明析牧師の御言葉)