今年の夏、
家族と小さな動物園のようなところにいきました。
ミーヤキャットが10匹ほどいるという小屋がありましたが、
まったく動物がいるような気配がなかったです。
そこにはミーヤキャットたちが通って遊ぶ
長い長い筒のようなものがたくさん置かれていて、
また、陰になるところが多く隠れる場所のある木が、
どすんと置かれているだけでした。
陰に眠っているのかな?と除いたりもしましたが、
動物の姿を見つけることはできませんでした。
いまは掃除か何かの関係でどこか別の場所に移動しているんだろうと
一瞬思いました。
多くの人がそのように思ったのか、
「何もいないわね」と言いながら、
その場を通りすぎていきました。
しかし、神様、聖霊様、御子、主を呼んで、
その小屋をガラス越しに眺めながら、
「どうでしょうか?この小屋にはミーヤキャットがいませんか?」
と尋ねました。
すると父か兄か母かが、
飼育員に聞きにいってちょうど帰ってきました。
「この中にいるみたいだよ。」
と言いました。
家族で出かけることも年に1回あるかないかのことだし、
この小さな動物園で見れる動物の数も少ないわけだから、
「ミーヤキャットよ、
一匹くらい顔を出してくれてもいいじゃないかー」
と思いました。
それでガラスに手を当てて、考えの中でこう祈りました。
「主よ。主の条件によって、人間の価値は回復しました。
今はわたしたちに万物を治められる能力があるとおっしゃいました。
だから、いまその言葉を信じて祈ります。
このミーヤキャットたちに言って聞かせて、
姿を現すようにさせてください。」
すると、
一匹ひょっこり出て来ていました。
そのときには家族は諦めて別の場所にすでに少し移動していましたが、
「ちょちょちょちょっと出て来たよ!」っと言って
驚いて、家族を呼んで集めて、
ミーヤキャットを見るように言いました。
すると、
あれよあれよという間にミーヤキャットが集まって出てきました。
しかも、遠くのほうに出て来たのではなくて、
こちらのガラスにぴったりくっつくような位置まででてきて、
10匹くらいがじゃれあって遊び出しました。
驚くべき光景でした。
その先にはオウムがいました。
オウムは、多くの人がしゃべりかけてもうんともすんとも言いませんでした。
このオウムは本当にしゃべるのか?と思いました。
人々が諦めてその場を去っていきました。
オウムの前に来ました。
それで同じように祈りました。
するとわたしの家族がその場を通り過ぎようとしたとき、
オウムが自分の名前をぽろっとしゃべりました。
我ながら驚きました。
この時代は
神様を新郎として迎えることができる新しい時代が来ているとおっしゃいました。
人間としての本来の価値を取り戻すことができる機会が、
現代を生きるわたしたちにはあります。
神様の時代のみ言葉に従って行なえば、
そのような生をだれもが生きることができます。
聖書の神様と人間の歴史を見ると、
はじめに人間の本来の価値は地に落ちました。
万物より劣る存在となり、
万物を治める能力を失いました。
しかし、神様はわたしたちを続けて愛してくださり、
約束どおり、時に合わせて、
わたしたちにキリストを送ってくださって
回復の歴史が進行しました。
いま私たちが時代のみ言葉に従って生きるならば
本来の価値を取り戻すことができます。
本当に驚くべき時だと思います。
わたしが、
神様の対象となり、相手となって愛し合う、
そのような最高の時代に生きれることを、
心から感謝します。