月明洞シリーズ第4弾。
これは一番最近の訪問(2015年5月15日〜19日)のときのことです。
前回の訪問後、1年以上空いてしまいましたが、今回も神様が呼んで下さって行くことができました。
月明洞は神様がいらっしゃる聖地。
いつでも誰でも行けそうに見えるけど、神様の許諾がないと行けない場所です。
私は仕事が忙しすぎて、長期休みも取れないため、 「御心の時にまた呼んで下さい」 と祈っていました。
すると4月末くらいに、 仕事の上司が出張のため5月半ばに10日ほど不在になる間、「休みをとってもいい」と言われました。
この話が出たときは、月明洞に行くことは全く頭になかったのですが、 ふと月明洞に関する御言葉を思い出し、
「あれ?月明洞行けるじゃん!」
と悟り、行く決心をしました。
今回の訪問は金曜〜火曜で、月明洞で主日礼拝を守ることに。
そこで伝えられたのは「必要性」に関する御言葉でした。
<宝が埋もれている畑>だとはっきり分からなければ、その畑を買うべき「必要性」が分からなくて、半値で売ると言っても、どうしてそんなものを買うのかと理由をつけ、言い訳をして買いません。
そうしていて知っている人が「その畑は宝が埋もれている畑だ」とはっきり話したら、その日、借金をしてでも、駆けつけて自分に売ってくれとお願いをします。
だからやりなさいとばかり言わないで、<必要性>を入れてあげなければなりません。これが「核」であり、「鍵」です。
(中略)
<人>も教会で、摂理史でどれほど必要な人なのか分からなければ、価値がないと思って、惜しくも使えずに終わります。
人はみんな貴重です。
すべての人たちが「個性体」として、みんな貴重で本当に大きいです。
みんな<自分>が神様と聖霊様と御子にとってどれほど必要な人なのか、悟らなければなりません。
そうしてこそ三位一体にぴったりくっついて行なうようになり、そうすることで害を受けず、三位一体も貴重にお使いになります。
人は「必要性」を悟ってこそ、理由をつけず、言い訳をせずに早速行ないます。
知らなければ盲人です。
知らないから、そのまま素通りするのです。
だから知るためには祈らなければなりません。
<必要性>が分かるようにしてくださいと言わなければなりません。
(摂理 鄭明析牧師 2015年5月17日 主日の御言葉)
聞いた時は、納得して受け入れたけど、深く悟れませんでした。
神様がわざわざ私を月明洞に呼んで、この御言葉を伝えてくださった理由が分かりませんでした。
それを知りたくて祈りました。
月明洞を去る日になっても答えが分からず、もやもやとしていたのですが、 祈っていたら感動で答えを受けました。
神様にとって、「私」が本当に必要な存在なのだということ。
これ、御言葉の中ではっきりおっしゃっていたのですが、私は「自分に該当すること」として聞けていませんでした汗
神様は、この地上の中で一番神様に近い場所である月明洞に私を呼んで、 神様にとって、本当に「私」が必要なんだと、 状況を通しても、御言葉を通しても、 伝えて下さっていたのだと悟りました。
摂理に出会う前は、自分の価値なんて本当に分からなかったし、 生きる意味も分かりませんでした。
しかし摂理で、 鄭明析先生の御言葉に出会い、神様に出会い、 「私」を創造して下さった方の、「私」一人に対する愛を悟り、 自分の価値、自分が存在する意味を、少しずつ回復していっています。
神様は人間一人を創造されるとき、 その人に対しての構想を頭から足の先まで、 赤ちゃんとして生まれる時から死ぬ時までの計画を練って、 一人一人創造するそうです。
価値がない人は誰もいません。
でも御言葉を知らなければ、 神様に出会えなければ、 自分に対する神様の愛、自分に対する神様の構想も、 分からずに終わってしまいます。
全ての答えは御言葉の中にあります。
一人でも多くの人がこの御言葉に出会い、「自分」を創造して下さった神様に出会えることを、 本当に願っています。
MiK