摂理の名古屋嬢MiKです(^^)
今回もマンデーの作品紹介シリーズ書こうと思ってましたが、、
昨日PCの中を色々見ていたら過去(=摂理にくる前)描いたイラストを発見し、「摂理で変化した」系の記事書こうかなと思い立ちました。
私の場合、大きな変化はイラストに現れています。
ちなみに、昨日見つけたイラストはこれ↓
2009年の年賀状用に描いたイラストですね。
(一応書いておきますが、私が摂理で信仰を持つようになったのは2012年からです)
この頃はまだアナログで描いて塗っています。
画材は主に水彩絵の具と漫画用のインク。
見たら分かると思いますが、当時の私の絵は少年漫画系でした。
「ジャ○プ」とかいつも読んでましたね。
漫画家目指してたので、漫画を読みまくって色々と研究していました。
右のキャラは連載用(笑)に考えていた長編漫画の主人公で、気に入っていたのでよく描いていました。
例えばこれとか↓
暗っ!!
そして怖っ。
こんな感じで、暗い絵が多かったです。
少年漫画なんで、バトルシーンも描いていたし、流血シーンも描いていました。
っていうか、むしろ、そういうのが好きでした。
当時の私の頭の中では、けっこう頻繁に漫画のバトルシーンが繰り広げられていました(^^;
明るく快活な主人公よりは、過去や心に何か「影」や「闇」がある主人公を好んで描いていました。
「痛み」とか「苦しみ」とか、そういうのを表現したかったんです。
多分、完全なハッピーエンドの漫画は描けなかったと思います。
自分がなんでそういう方向になっていったのかは今となっては分かりませんが、 私が好んでいた漫画やら、小説やらが、だいたいそういう系だったので、かなりそれに影響を受けていたと思います。
作家にとって作品は「自分の分身のようだ」ともいいます。
その人の表現したいもの、世界観、内面、そういうのが全て現れます。
私の過去の絵を見たら、私がどれだけ暗い世界にいたのかがよく分かります。
しかし鄭明析牧師の御言葉は、その暗い世界にいた私を、「光」の中に引っ張り出してくれました。
ただでそれができたでしょうか。
もちろん、私も光に移ってくるためにもがきましたが、根本は、神様が私を「許し」て下さったからです。
神様の嫌う暗い世界で、神様の願わないことを描いて、それを人々に発信しようとする私の行ないが、どれだけ神様にとって悲しいことだったでしょうか。
それでも神様は私を許し、 それだけでなく、 「天の作家」として、再び絵を描いていく機会を私に下さったのです。
これは2015年2月1日の主日の御言葉から描いたイラスト「許し」です。
摂理に来て、私の絵はより「光」が強調されたものになりました。
キャラクターの表情もだいぶ変わりましたね。(絵自体も変わりましたが。)
「闇から光へ」 これは私が表現したい大きなテーマの1つです。
自分がそれだけ強く体験したというのもありますが、 御言葉に出会って変化していく人たちを見ながら、「一人の人間が暗闇から光の中に出てくることが、どれだけ美しく神秘的で雄大なことだろうか」と感じるからです。
「時代の御言葉」が光です。
言い換えると、「時代の使命者が伝える時代の御言葉」が光です。
(中略)
イエス様の時も、御子の肉であるイエス様を見て光だと言いました。
その御言葉が光だと言いました。
このように光が現れたので、死亡にいる人たちが光であるイエス様を見て従い、彼が伝える御言葉を聞き、彼が救い人であることを知り、ついていきました。
この時代も「光」が何を意味するのか、知らなければなりません。
光が何なのか分かって、自分もその光を受けて行なえば、光を放つようになります。
(摂理 鄭明析牧師 2013年1月23日 主日の御言葉)
これからも神様の中で、 この美しく神秘的で雄大な御言葉の世界を表現していきたいです。
MiK