キリストの復活を祝う復活のお祭り、イースターは日本でもよく知られています。
しかし、
この「復活」とは、
死んだ肉体がまた再び、むくっと起き上がって生き返ること
ではない。
と鄭明析牧師は、強くおっしゃいます。
わたしたちは日々、「復活」しなければならないのですが、
それは、肉体が死んだ人に該当することではなくて、
生きた人に該当することです。
だから、「復活」が喜びであり、祝福です。
わたしは、鄭明析牧師の御言葉に従うようになって、
一番「復活」したのは、
生き方です。
わたしの大学生活は、
目の前の楽しいこと、
一週間後の計画、
将来のちょっとした願い、
に価値をおいて、それに期待して、希望をおいて、
たまに失望することもあったりしながら、
予定を極力つめつめにして、
なにかにむかって自分なりに「頑張って」、
そんな感じの暮らしでした。
たぶん、
結構一般的な大学生の生活だったと思います。
でも、心の奥底ではいつも満足していませんでした。
いつになったら満足するんだろうかと思っていました。
目先のものをつかんでは、
手のひらをのぞくとなんにもなくて、
空をつかむような生活
をしていた、といまは感じます。
でも、
鄭明析牧師の御言葉を学ぶようになって、
自分が価値をおいているものが変わり、
もっと尊いものを知るようになって、
自分では考えもしないような、
もっと大きな夢をもつようになり、
なにより「生」の意味を見いだしました。
その御言葉は「真理」だったから、
わたしに絶大な影響力を及ぼしました。
自分の考えが変わったので、
友だちや、家族や、周りや、世の中の流行り廃り、
そういうものに全くといっていいほど、
左右されなくなりました。
行動が分かって、生活が変わりました。
だから「生き方」が変わりました。
低い次元は高い次元のことがわからないけれど、
高い次元にいくと、より低い次元のことが分かる。
という御言葉もありますが、
わたしの生き方は、
より低い次元から、
より高い次元に上がりました。
つまり「復活」しました。
この「復活」は、わたしの力でできたことではありません。
鄭明析牧師が語る、聖書に基づく御言葉によって、
「復活」しました。
わたしは生き方が変わるほど、
価値あるものに出会うことができたから本当に幸せです。
一人でも多くの人にこの御言葉に出会ってほしいし、
変わった生を実感してもらいたいです。