芸術の目的 ~とある摂理ドラマーの話~ by.Nightingale

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ハレルヤ!Nightingaleです。
♪~θ(´∀`●)
先月、礼拝などでドラム演奏してくださっている摂理メンバーのところに、
お話をうかがいに行く機会がありました。
讃美とドラム…一見全く違うようですけど、
目的は同じ。
「神様に栄光を帰すること」
讃美の核心は「心情」です。
讃美を捧げる時、いつもたくさん主と対話をします。
たくさんお祈りします。
この讃美を通して私に伝えたい心情はなんですか?
この時、どんな心情だったのですか?
どうか、悟らせてください。
神様の喜びにならせてください。
歌詞を声に出して読んでみたり、
メロディーの動きや盛り上がりから心情の動きを感じようとしたり。
溢れんばかりに与えてくださっている御言葉を考えながら。
時には悟りきれず涙することも。。。
そのすべてが天との経緯であり、
讃美は愛の交感だと実感します。
心情の動きを表現するのは、ドラムも人の声も同じです。
自分という肉体を通して神様が心情を現してくださるように。
ドラムが、こんなに繊細で豊かな表現ができる楽器だったとは驚きでした。
その方は、ずっとプロのドラマーになりたくて、学校も出たけれど、
音楽業界というものにどうしてもなじめなくて、違和感があって、
それでもドラムは叩きたくて、とてもとても苦しくもがく中で、
摂理に出会って、
神様のもとで栄光を帰すこと、
その喜びを知り、
全ての芸術は神様を称え栄光を帰すためにあるということを悟って、
また、自分はそのためにこの摂理に呼ばれたんだと悟って、
毎日栄光を帰していらっしゃる方です。
103:1わがたましいよ、主をほめよ。
わがうちなるすべてのものよ、
その聖なるみ名をほめよ。<詩編103篇>

ある讃美を演奏してくださった時、
最初の「一音」を聞いた瞬間、
ぶわぁーっ!と、とある主との経緯が思い出されて、
涙が溢れてしまいました。
天の音楽は、
たった一音でも、
主との経緯を思い出させてくれる音楽なのだなと悟りました。
今回お話をうかがってみて、
真近でその演奏を味わわせていただいて、
讃美の核心はやはり「愛」だと実感しました。
主を慕う心がどうしようもなくて、讃美として溢れ出る。
天が個性という才能と材料を与えてくださったから、
感謝で、感激で、喜びで、嬉しくて。
愛するから、もっともっと天を喜ばせて差し上げたい。
天の喜びになって差し上げたい!
自分を磨き、研究せずにはいられません。
そして、神様は、その生活の全てを讃美として受け取ってくださいます。
心から感謝します。
とてもとても、勉強になった一日でした(*^^*)
♪おまけ…
その方のお話の中でもう一つ印象に残っているのが、
「いつ呼ばれてもいいように準備していた」ということ。
摂理に導かれたばかりの頃から、
(主がおっしゃるなら)「どこにでもいきます!」と言って、
ドラムセットをもって、呼ばれればどこにでも。
昔も今も変わらずそのように準備していると。
私も、主が
「行くよ」
とおっしゃった時に、
「アーメン、主よ!」
と言って手を取ってすぐについていく、そのように備えていたいと思った一日でした。