仏前式でゴスペル ―うたうということ―

小~さい頃から、本当に歌が好きで

歌うときは基本、その曲に対して、変に真面目になってしまう おたあ。

例えば

学生時代にアカペラに没頭したときも

「歌うことも意味」や、「人間としての幸せ」などを考えながら

バンドのコンセプトを決めたり、選曲をしたりした。

サークルの同期や先輩からはよく…

「おたあちゃん、ちょっと………テーマが重いね…笑」と言われながらも

貫いてきた…!(鼻息)

 

この歴史に導かれ、賛美に出会ってからは

これまで自己満足のツールだった「歌」が

(もがきもあったけど)以前より、神様に向かうものになったと思う…!

今も挑戦中…!!

 

人間として、歌う意味。

おたあは、またひとつ、神様から答えを頂いた。

 

聖書にこんな聖句がある↓↓

新しい歌を主にむかってうたえ。
全地よ、主にむかってうたえ。
主にむかって歌い、そのみ名をほめよ。
日ごとにその救いを宣べ伝えよ。
もろもろの国の中にその栄光をあらわし、
もろもろの民の中にそのくすしきみわざをあらわせ
(『旧約聖書』詩編 第96篇より)

 

 

おたあは今。非常に感謝なことに

聖歌隊や、教会全体で歌う際に前で導くお仕事など

お歌の使命を神様に頂いている。

兄弟姉妹と、介護施設やカフェなどに歌いに行く機会までも頂けて、感謝感激(涙)

そして去年の秋頃か

「賛美を歌って神様を証することも、神様は私に願っているのかな…(*^_^*)うふふ」

なんて思い始めた

その時

 

 

おたあのおばあちゃんが亡くなった。

 

 

おばあちゃんの施設にも、いつか歌いに行こうと思っていたんだ

認知症のおばあちゃんにも、

賛美を通して、神様を紹介しようと思っていたのにね

叶えられなかったな

 

 

葬儀屋さんと、通夜と告別式との打ち合わせの時…

―― 祖母の霊、今どこに居るだろう

絶対に神様に出会って、永遠に安らかでいてほしい

今更だけど、賛美を届ける事は出来ないか ――

「式の中で、祖母にメッセージを伝える機会をください」と、思わずお願いをした。

 

告別式の当日

神様の御働きにより、お坊さんから賛美を歌うOKを頂き 

おたあは、仏前で賛美歌を捧げた

 

 

通夜から告別式と、慌ただしいスケジュールの中

発声練習なんてとても出来なかったが、今までの中で、一番声が伸びやかだった

涙が出ても、不思議に声はぶれなかった

 

おばあちゃんが他界してから緊張が続き、

涙を流してなかった母が、泣いた。

 

そして、信じ難いかもしれないけど

仏前で賛美をしながら

つむった瞼の裏には

聖三位神様の、輝かしい御座のような…美しい光景が広がっていたの

 

三位は「三位と一緒に生きる人たちの体」を着て実践なさる。この事を分かって、甲斐と愛と希望と喜びで生きなさい。

(201727 明け方の箴言より)

 

おたあの拙い賛美を通してでも

神様が

祖母の霊や、その場にいた家族に、働きかけてくださっていたこと

心から信じ、感謝している

 

 

これからも、神様のために

続けて次元を上げて、

神様と一緒に、歌をうたっていくよー(*^_^*)