ハレルヤ!
かなり久しぶりです^^
コロナ期間に、聖殿建築を振り返る機会がありました。当時できる最大限をつくして、聖殿建築を行いましたが、次の聖殿建築ではもっと「設計」に時間と労力をかけて行いたいなと思っています。
そもそも、「設計」とは何でしょうか?
建築士法
第二条 6 この法律で「設計図書」とは建築物の建築工事の実施のために必要な図面(現寸図その他これに類するものを除く。)及び仕様書を、「設計」とはその者の責任において設計図書を作成することをいう。
設計者によって、作成された図面どおりに工事を行うのが「工事施工者」、図面どおりに工事を行われていることを確認するのが「工事監理者」になります。
ちなみに、建築物の一定規模以上の設計&工事監理は、「建築士」でなければできません。
改めて。
建築士法
第二条の二 建築士は、常に品位を保持し、業務に関する法令及び実務に精通して、建築物の質の向上に寄与するように、公正かつ誠実にその業務を行わなければならない。
御言葉と聞くと、「設計」は、「構想をうけること」と同じと言えます。
まず「構想」で作り、その次に「実際に行なって」作ることだ。
作る時に美しさと神秘さと雄大さが左右される。
だから<自分の人生>を構想する時や、<生活に必要なもの>を構想する時も、数十回、数百回も、よりよく構想してみて行なうことだ。
<実体>は「構想の結果体」だ。
自分の生活をする時や、進路を決める時や、何かの仕事をする時も、構想する時、最高に構想し、設計し、計画することだ。
同じ材料を使っても、「構想」によって変わる。
だから何かの問題、何かの仕事を前にして、「どう行なうべきか」構想をちゃんとしなければならない。
神になるためには、始める前に100%構想し、100%行なうことだ。
完璧に構想すること、完璧に行なうことだ。そうすれば「神」になって構想し、計画したとおりに成功する。
(2014年11月2日摂理・鄭明析牧師の御言葉)
つまり、「設計」段階で、神様に祈り求めながら、地の責任分担を果たし、最高の構想を得て、それを図面に表現してこそ、その次の工事段階で最高の建築物をつくることができるということです!
初の聖殿建築では「設計」段階で検討すべきことが十分に検討できておらず、工事の段階で初めて検討して変更したり、そもそも図面に表現できていないことで、施工者に負担をかけることがありました。
(聖殿建築の経験不足だけでなく、全体の理解不足、人員不足、資金不足など、様々な要因がからんでいます。)
一般的な建築物の建築でも、基本設計→実施設計→工事の過程を踏んで建築物はつくられていきますが、「基本設計」と「実施設計」を、それぞれ十分に行う必要があります。
「基本設計」とは、建築主の要望を聞き、敷地、立地条件などを調査し、建築基準法等の関係法令に照らし合わせ、平面、立面などの基本設計図を作成すること、「実施設計」とは、基本設計で作成した図面をベースにして、工事着工用の図面を作成することをいいます。
つまり、設計者は、「基本設計」段階で、図面や様々なツールを使って、十分に教会側の要望を引き出し、関係法令を満たして、図面に反映させる必要があるし、
教会側も「基本設計」の段階では、「設計者にお任せ」ではなく、神様に祈り求め、積極的に議論して、自分たちの要望を整理しまとめて、設計者に伝えてこそ、
次の「実施設計」に入ることができます。
この段階できちんと検討や議論がされていないと、後に施工者に過度な負担をかけ、無理やり工事をして、完成してから後悔することになってしまいます。
その上で、次の「実施設計」の段階では、設計者は、時間と真心を注いで、工事の着工用の図面を作成しなければなりません。
以上のように、神様から完璧な構想を受けて聖殿の「設計」をするためには、設計者と教会側の姿勢が重要です。
万事すべてを経験してみても、労苦して汗を流してもがいてつくったものは、後から見ても堅固で美しく見た目にもよく、これによってうまくいきます。よく使われます。価値あるように使われます。価値あるものとして使われます。
しかし、あまり労苦もせず、投資もしない、低い次元でつくっておいたものは、見たら問題が起こって崩れることもあるし、雨漏りするし、腐るし、カビが生えます。そのように崩れ、問題が起こらないとしても、普通のもので、あまり喜びがありません。もっといいものを見たら、比べられてみすぼらしさを感じるようになります。使うのにも不便だし、環境も不便だし、満足しません。
だから、「努力し、大変でも難しくてもやりなさい」ということです。
(2020年9月8日摂理・鄭明析牧師の御言葉)
次はもっといい聖殿建築をしていくことができますように!!!
画像1:国土交通省「工事監理ガイドライン」パンフレット
画像2:(一財)東京都建築士事務所協会HPより