聖殿建築vol.10☆~ガラスアートの苦難~byエステル

ガラスアートの壇上は、新聖殿のデザインの核である分、完成させるのが最も大変でした。

ガラスアートは地震で倒れてきたら終わりです。人もガラスも。。それは、ガラスの枠と支える壁の工事にかかっています。ガラス工房はガラスのデザイン専門。父の施工業者が壁はつくる。

では、ガラスの枠を誰が設計してつくるのか?

当初のガラス工房の見積もりでは、ガラスの枠の設計や工事費が含まれていませんでした。別途お金がかかることに後から気づいてしまったのです。

Yさんが図面作成してくださったものの、ガラス工房の施工業者を使うと+◆◆◆万円ということが発覚(+◆◆◆万円かかるならやらなかったのに)。

しかしすでにガラスの製作は始まっており、今からキャンセルするという選択肢はない。

どうにか安くできる方法はないか。YさんとSさんと連日頭をひねらせた。

Yさんの施工業者?父の施工業者?どちらの施工業者に依頼しても、初挑戦なので、リスクがある。しかし失敗は許されない。だから施工業者はやりたくない。

なかなか決まらないので、現場監督Horiさんからは嫌味をいわれる。

(工事の進みが遅いので、現場監督Horiさんは総監督の父からいつも叱られていました。私は現場監督Horiさんから、ガラスアートが決まらないと工事を進められないと責められていました。)

初めは、ガラス工房になぜ初めの見積もりの段階で別途かかる金額を提示してくれなかったのかと伝えようと思いましたが、気づかなかったこちらのミスだと、Sさんよりアドバイス。

次の対応として、Yさんの施工業者が、現場での造作なら1/3価格でできるかもとのことなので、見積もりをお願いする。しかし実際は、金物屋さんが手一杯で安い見積もりを提示できない&納期に間に合わないとの返答。

それなら父の施工業者で何とか安くできないか。Yさんから父に、金物の枠ではなく、木の枠でできないかと提案(個人的にはガラス工房でさえ今まで木ではやってないので構造が不安だなと思いつつ)。父も木は難しいと回答。

やりとりを繰り返す中で、父が腹をくくり、「なんとかうちで◆◆万円でつくれないか聞いてみる」と、父の施工業者の金物屋にお願いすることになりました。

(ちなみに毎日やりとりを見ていた母は「リスクを背負うくらいなら、今からでもガラスアートをキャンセルしたほうがいい」と主張していました。父は「ガラスアートがメインだと思って工事を進めてきたから、今さら、なくなるというのは寂しい」と漏らしてました。)

その後、施工性を重視する金物屋と、デザインを重視するガラス工房との調整にYさんが入って、やりとりが続き、なんとか折り合いをつけ、施工図が完成して◆◆万円で枠ができることが確定。

喜びは束の間、図面の精度をあげるため、ガラスアートの照明も具体的に進めなければと、商品を選定し、見積もると、さらに◇◇万円かかることが発覚。思った以上に高い。

一応もっといい方法はないか調べるだけ調べてほしいという意見と、調べるにも手間がかかるから◇◇万円で進めてよいという意見が対立。調べるにも、照明デザイナーのAさん頼り。しかしAさんも分からない。照明は返品不可だから失敗は許されない。紆余曲折の末、私はガラス工房に実績の調査を、Aさんはメーカーに問い合わせることに。

その結果、同じメーカーでも明るさが劣らず、ガラス工房の施工業者の使用実績がある製品で、別の回路にすれば(メーカーのアドバイスによる、ネットには未掲載の回路)、2/3価格でできることが判明。

自信をもって工事日を待つ。

そしていざ枠の工事が進み、感動してYさんに工事写真をおくると、Yさんから以前指摘したことが直っていないと指摘。

その場に父がいなかったので、ちょうどいた現場監督Horiさんに状況を聞くと、Yさんの心配どおりの仕上がりになる様子。

このことがデザインラインで炎上。Yさんに写真を送るにももっと祈るべきだった、送らなければよかったと後悔。

父へどう伝えるか、今の段階からどう直してもらうか、様々に頭をめぐらせ、やっと教会としての意見がまとまったと思ったら、すでに工事が進捗。実物をみてみるとこちらが提案しようと思っていた仕上がりに。あれ、何も父に伝えてないはずだけど?

父に確認すると、初めからYさんの指摘を改善する形で工事するつもりだったと。単にHoriさんに情報がいってなかっただけだった。無駄な心配をしていた。

さらに工事が進み、電気工事が始まると照明のサイズがおさまらないと連絡。照明は返品不可だから、念入りにサイズも調べて多少余裕をもった設計にしたのに。今回の施工は例外なのかも。焦り。。。翌日何とかおさまったとの連絡。よかった。

照明のサイズの問題がクリアしたので、スケジュールどおりガラスの搬入も進められることが確定。父がYさんに連絡したら、Yさんが間に合わないと思ってすでにガラス工房にスケジュールを遅らせるように手配した後だった。

さらに工事が遅れる。

献堂礼拝は延期できないから、最速の日程で進めたかったのに。何となく父の発言とYさんの行動が一致していないことに気づいたが。。。その時に確認すべきだったと反省。

スケジュール調整により、ガラスの搬入は翌週に。

搬入当日、本当にガラスを三階まで階段で運べるかという不安がよぎる。運べなければ駐車場を借りて窓からいれるしかない。もう少し確認しておくべきだった。

(Aさんによる事前調査)

搬入できたと連絡。ほっ。

そして、無事ガラス設置。

ガラスアートの工事は、常に皆の悩みの種で、工期もさしせまり、何度もやらなければよかったと思いました。

今となっては、神様のデザインの構想を妥協することなく、最大限お金がかからないように努力し、メンテナンスもできるようにし、献堂礼拝もスケジュールどおり迎え、誰とも不和になることなく、その時その時最善を尽くせたので、本当によかったなと思います。

自分の時、時代の時、神様の時、ゴールデンタイム。雪が降っても雨が降っても患難、迫害があっても、やらなければならない。なぜか?迫害があるからと言ってやらない、困難だからと言ってやらない、つらいと言ってやらない、困難なだからと言ってやらなければ解決できない。やってこそ、解決する。
雨が降っても、風が吹いても、やった人は時になれば黄金に実った穀物を得ることができます。最後までやったら、必ずできます。
(2018年11月6日 摂理・鄭明析牧師の御言葉)

道が見えなくても、必死に信じて探して求めて行えば、神様が道を示してくださいました。

聖三位に感謝を捧げます。