最近もがいていたこと

最近、

「オリジナル創作したい病」
 
に罹ってました。笑
 
 
先日の記事で自分の個性は「創作家」じゃなくて「技術者」だと書いたのですが、
 
摂理に来る前、20数年間漫画家を目指し、オリジナル創作をやりたくてもがいてきた思いは簡単には消えなかったですね…^^;
 
 
最近半年くらいか、もっと長く、オリジナル漫画描きたい思いはあり、神様にも祈ってきましたが、
色々あってここ1〜2ヶ月くらいはすごくやりたくてたまらなくなって、
そういう個性の人が羨ましくてたまらなくなってました苦笑
 
 
そんな中で「戦う新婦たち」アニメも作ったのですが、あれは自分が描きたいように思いっきり描いたのでめちゃ楽しかったです。※ただし、これは超・肉的だった…笑
 
 
でも深く祈ったとき、
私の肉はオリジナル漫画描きたいけど、
霊は天のものをそのまま描きたくて、オリジナル創作とか別にどうでもいいと思ってることが判明。。←苦笑
 
 
答えは出たけど、でも肉が簡単には納得してくれない。
 
 
自分が願うことをやりたい思いが強くなったせいで、
今まで携わらせてもらった天の作品の価値もよく分からなくなってきた。
 
 
そんな状況の中で聖地「月明洞」に行きました。
 
 
いつも月明洞に行くたびに、
神様はめっちゃ強力に働きかけ答えを与えてくださるのですが、
今回もそのようにはっきり教えてくださいました。
 
 
自分の中でも、オリジナル漫画描きたいのは肉の思いだとは分かってたけれど、
やはりそっちの方向ではなかった。
 
 
天のもの、霊のものを直接描いていくのが、私の道なのだなと。
 
 
 
最近、明け方の御言葉でこのような内容がありました。
 
自分を中心にした神様の御心は正しくないということです。
神様を中心とした神様の御心、意向にならなければならないのです。
 
(2019年12月6日 鄭明析牧師 明け方の御言葉)
 
 
神様が1番、自分は4番目くらいとおっしゃってました。
 
オリジナル漫画描きたいのは、
神様のためにやるとは言っても、自分を中心とした神様の御心だなと感じました。
 
何のために作品を作るのか。
 
神様、主のことを伝えたいからだけど、
私がオリジナル漫画描きたいという思いは、
 
 
(自分が願う)漫画を描きたい > 主を伝えたい
 
 
だなと感じるから。
これじゃ天に相応しくないや。
 
 
 
天に合わせて描くのは、
ひたすら「自分」を捨てて、空けて、
自分が願うことを置いてやる必要があるので、けっこう大変なことがあります。
(というか、自分が描きたいものは描けない)
 
 
それをある方に話したら、
 
「それは誰でもできることじゃないよ」と。
 
そうかぁ…
 
 
でも、
摂理に来る前、個性があまりない絵柄なのが悩みだったけど、
ここではそれをうまく使って頂いてると感じてます。
(受け入れられやすい絵柄だとよく言われます、感謝)
 
 
そういう絵柄だからこそ、
個人的にやりたいことじゃなくて、
もっと天が願われる方向に合わせてやらないといけないな〜と感じました。
 
 
今までも色々あったけど、
結局神様の示される方向に行ったとき、
自分の願いも成されてきました。
 
神様の目的の中に自分の目的も入っているんだとおっしゃる御言葉は、その通りなのだなと。
 
 
正直、かなりの葛藤でしたが、
個人的にやりたいことに時間使って作品残しても、
楽しいかもしれないけど後から後悔するだろうなとも思います。
 
 
ひたすら自分捨てて空けていくのが、私の愛の道なのだろうな。(なーんて…)
 
心を定めて天と共に作っていきたいです。
 
 
 
MiK

ABOUTこの記事をかいた人

摂理の漫画家。イラスト、アニメ、マンガ等を制作。普段は医薬系の研究開発に携わる理学博士。2020年10月から個人サイト「光のアトリエ(https://cgm-artpiece.com)」に移行しました♪