個性について感じたこと

最近、改めて感じましたが、

私は技術者〉であって創作家(クリエイター)ではないんですよね。

 
 
私の仕事(←生物・薬学系の研究)においても、
 
私は技術者〉的な位置であって、
いわゆる研究者〉マネージャー〉のような位置ではないと感じていましたが、
 
それは作品づくりでも同じようです。
 
 
 
 
先日、摂理のある指導者の方と話したときに、
 
 
「MiKちゃんは、〈演奏家〉タイプだよね」
 
 
と言われました。
 
 
 
全体をまとめる〈指揮者〉や、音楽をつくる〈作曲家〉ではなく、
自分の任されたパートで、いかに技術を磨き、うまく表現して演奏するか
 
 
私はその位置なんです。
 
 
 
作品づくりにおいても、
 
私が得意なのは、
すでにシナリオやストーリーがあるものについて、
 
『いかに表現して伝えるか』
 
構成・演出・表現(画力)という技術的な部分であり、
一からの創作って苦手だなと思います。
 
 
 
私が摂理で作ってきた作品(御言葉イラスト聖書アニメ古木アニメ)は、
全て、もともとの題材があり、
私はそれを『見る人が分かりやすいように』表現することをしてきました。
 
 
 
漫画でいうと、
 
シナリオ・原作は別にいて、
構成・作画を担当する人の位置です。
 
 
 
何度か、
御言葉や鄭明析先生のエピソードをもとにして創作を試みたことはありますが、
 
何も浮かばず。苦笑
 
(↑変に創作しないで、もとにした御言葉やエピソードをそのまま描こうよ、ってなる)
 
 
 
摂理に来る前、漫画家を目指していたときも、
 
オリジナリティがどうしても出せなくて、
他の作品のパクリもどきになってしまうので、
すごく悩んで限界を感じていましたが、
 
 
摂理に来てもその性質が変わったわけではなく、
 
それが私の「個性の位置」なのかなと思います。
 
 
 
クリエイターになりたかった自分としては、何とも残念なのですが。苦笑
 
 
 
 
でも、摂理ではその個性で十分なのです。
 
 
 
 
世の中では、
飛び抜けた才能、オリジナリティ、表現力などなど、
色々兼ね備えた人が成功をおさめていると思います。
 
 
でも摂理では、
「たった一つ」の個性であっても、本当に貴く用いてくださいます。
 
 
 
聖書アニメや、古木アニメは、
私一人では作れなかった作品です。
 
 
 
「神様のことを伝えたい!」
「先生のことを伝えたい!」
 
 
 
そういう同じ心情の人たちが、
 
〈それぞれの個性の位置で〉一つになって、
作品を完成させることができました。
 
 
 
同じ「御心」に向かって、
それぞれの個性が一つになるとき、
本当に大きな力が生まれると感じます。
 
 
 
一緒に作品作りをしているみんな、
 
お互い仕事もバラバラで、
私が摂理に出会わなければ、一生出会わなかったであろう人たち。
 
 
 
神様の中で、
御心の中で、
 
引き合わせて下さったことに本当に感謝します。
 
 
 
地上の縁だけでなく、
天国で永遠な縁として続くから、どれほど素晴らしいことだろうと思います。
 
 
 
これからも御心の中で、
皆で一つになって作品を作り続けていきたいです。
 
 
 
 
MiK

ABOUTこの記事をかいた人

摂理の漫画家。イラスト、アニメ、マンガ等を制作。普段は医薬系の研究開発に携わる理学博士。2020年10月から個人サイト「光のアトリエ(https://cgm-artpiece.com)」に移行しました♪