失うことで得ること
イザヤ書55章8~9節
「55:8 わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、
わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。
55:9 天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い」
ハレルヤ!Nightingaleです。
同じ教会の女性MBが、
名古屋を離れ、関東の教会に移籍することになりました。
それが神様の御心なのか、
最後まで確認、確認しながら、
感動を受けてから移籍までの期間、
実に一ヶ月というスピード!
(その間に引っ越しや転職活動も)
私は早めに教えてもらったのですが、
共に名古屋で過ごせる残された期間を、
有効に使えたかというと決してそうではなく。
今思うと大好きだったから拗ねてたんですね。
もったいない。
しかし、出発が翌日に迫り、
今週主日の御言葉の主題が、
『<現在すべきこと>は「今」しなさい「今、主と一緒に」だ』
という、時の御言葉でした!
時を逃してはならぬ~(><)と、
時に関して今まで数々の失敗がある私は、
彼女のお家に乗り込んだのですが(ちゃんと約束してから)、
何を話したらいいのか分からず、
「何を話したらいいんでしょうね…」と
2人でバウムクーヘンをつついていると、
突然、彼女の職場の上司が、作業服の受取に来られ、
席を外す彼女。
神様が祈らせて伝えたいことがある、と感じて、
瞬間祈った時に受けた感動は、
「あなたたちにとっても挑戦だ」。
アーメン。
その人は、
MBが元気をなくしたり、道に迷ったりした時、
主の体になって寄り添い、祈ってあげる、
そのような人でした。
だから、名古屋を離れると聞いて、
多くのMBがその人に感謝を伝えたい、
残された期間を共に過ごしたい、
今度は自分が祈ってあげたい、
とその人のもとを訪れていました。
その様子を見ながら、
その人の行ないがどれほど皆の支えになり、
愛されていたのかが分かりました。
その人自身がそのように皆を愛したからであり、
根本的にはその人を通して主が愛してくださったからでした。
主はその人を通して、
この教会のMBを愛することが満ちたので、
今度は別の教会で、
主の愛と支えと祈りを必要としている人を満たすために、
出発されると悟れました。
だから、今回のことは彼女にとっても挑戦の始まりだし、
彼女のような人がいなくなるということは、
実は私たちにとっても挑戦だということでした。
それを伝えると、その人は、
「自分は何かのリーダーでもないし、
いなくなっても、そんな影響力ないですよ」
「私はただ祈っていただけです」
と言いました。
違うんだな…(笑)
私たちはまだ成長の過程の中にいるので、
お互いが主の体になって支え合っていかないと、
自分の力ではついていくことはできないし、
(リーダーを使って働かれるのも、姉妹を通して働かれるのも、
「主」です。
個性通りに使って、救いを成されるということです)
リーダーの心情を受け、またその人自身も皆を愛し、
見えないところで真心を込め、何の見返りも求めず、
ただ喜びで皆の支えとなることができる、
そのような人がいてこそ、
皆が生きることができるということです。
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新約聖書の中に「エパフロデト」という人が出て来ます。
この名前を聞いてピンとくる人は、相当の聖書通?
パウロが『わたしの同労者で戦友である兄弟』と呼んだ人で、
こういう人を尊重せねばならない、と証している人です。
(ピリピ人への手紙)
この人は、教会の中で、目立って人々の前に立つ人ではありませんでした。
神様以外は誰も知りませんでしたが、
キリストのために命をかけ、
人々ができなかった分も、
自分が真心込めて尽くそうとする人でした。
自分より神様のこと、皆のことを優先に生きていたので、
ある時病気になってしまうのですが、
皆に心配をかけまいとそれを黙っていました。
しかし、瀕死の状態になってしまったことで
病気を隠していたことがバレてしまい、
そのことをとても心苦しく思っている、という人でした
(ちなみに、彼の行いをずっと見ていた神様が
彼を憐れんでくださって、病気は治りました)。
このエピソードを教えてくれた、ある摂理の牧師さんは、
「教会や皆のために、人知れず祈っている人、
そのような人がいるからこそ、教会が成り立つ、
そしてそのような人たちを忘れてはならない」
とおっしゃいました。
新たな旅立ちを得て、
12月、残された期間、
それぞれがやり残すことなく、
挑戦し、成し遂げる年末を過ごせますように!