ハレルヤ☆
摂理の名古屋嬢MiKです(^^)
今回は私が経験した出来事から、「祈りの教訓」について書こうかと。
私はある大学で研究員として働いていますが、 今から1年半前くらいから仕事が激烈に忙しくなりました。
毎日23時回るのは当然。
土日も仕事。
ある時は4日連続で終電(23:50)を逃してタクシーで帰宅。
(そしてそのまま徹夜で明け方の祈り)
さらに、仕事中は上司の監視下に置かれ、自由がありませんでした。
前の記事に書きましたが、当時は信仰的にとても大変な状況だった私。
少しでもたくさん御言葉を聞きたいし、祈りたいのに、
水曜と金曜の夜にある御言葉の時間は教会に行くことができず、
御言葉を聞き直したいけれど土日も仕事で時間がなく、
(日曜の礼拝には何とか参加できていましたが)
祈ろうと思って10分でも席を外すと上司から探される始末。
いつもトイレで祈っていたのですが、上司がトイレにまで乗り込んで探しにきました。
(※上司は女性です)
場所を変えたらどこに行っていたのか追求され、そして見付かっては説教され…
本当に辛すぎて、何度も仕事をやめようと思ったし、神様にも訴えていました。
しかし、一向に仕事の状況は良くなりませんでした。
教会のメンバーにも、
「MiKちゃんは何であんなに大変なんだろう??」
と思われていたみたいです。
そして2014年8月20日の主日に、このような御言葉が宣布されました。
「祈って願い求めたことを忘れるな。そうしてこそ、くれる時に分かって受け取る 」
(要約→Mannam&Daehwa)
神様と聖霊様と御子に祈って、願い求めて話した内容の核は忘れないでいてこそ、時になってそれに該当する話をしてくださったら理解でき、「答えを下さってありがとうございます」と言って、「私があの時に話したから、このようにそれに相応しい答えを下さったのだな」と悟るようになります。
自分が神様に祈って、願い求め、話したことを忘れたら、時になって「神様が下さるもの」をもらえず、失敗するようになります。
だから、これは本当に重要なことです。
「永遠な霊の運命」と「肉体の運命」が左右されるとても重要な問題です。
(摂理 鄭明析牧師 2014年8月20日 主日の御言葉)
この御言葉を聞いた週だったか、その後だったか忘れましたが、 瞬間、過去に祈っていた内容を思い出しました。
摂理の礼拝に出るようになってまだ数ヶ月、信仰の右も左も分からない頃、 信仰的に幼い私は、神様に相応しい人に成長したいと思って、このように祈っていました。
「神様、私を鍛えて下さい」
ああ…。 これだよ、原因。
まさに、この祈りを神様は叶えて下さっていたのです。
しかし、自分の状況が辛すぎて、どうしても御言葉通りに感謝することができない。。
むしろ、
「どうしてそんな祈りに限って叶えて下さるんですか(涙)」
(※まねしないで下さい!ちゃんと感謝すべきです。)
本当に、賢く祈らないといけないなと痛烈に悟りました(^^;
鄭明析先生も、いつも「賢い祈りをしなさい」と教えて下さいます。
「私の次元と状況に応じて、必要な鍛錬をさせてください」 とか、そういう風に祈れば良かったかなぁ。
「神様、私は(どうなるか)よく分からなくて祈ってるんだから、分かってよ…」 と言いたいところですが、神様は本当に祈り通りに答えて下さるので、 気をつけて祈らないとこのような直球ストレートな答えが飛んできて大変なことになります。
とはいえ、これは祈った側の責任です。
神様からしたら、本当に人間を愛して、祈りを叶えて下さっているんです。
今回のことも、私が直球かつ無知な祈りを捧げたのが原因でこんなことになったので、
決して神様のことを誤解したり、恨んだり、不平不満を言ったりしてはいけません。
でも、本当に鍛えられたと思います。
神様に相応しい人に成長できているかは自信がないですが(^^;)
ちなみに、辛すぎたその仕事はどうなったかというと、、、
まだ続けています笑
今年5月くらいに、本当に限界を迎え、上司に「辞めます」と宣言したにもかかわらず、未だに続けています。
これだけ嫌で何度も辞めようと思ったのに未だに続けているということは、きっと神様の大きな御心があるのかなぁ…と思っています。
あ、でも「辞めます」宣言してからだいぶ仕事が楽になりましたが☆
まだ御心は分かりませんが、「最後までやってこそ御心が分かる」と先日の御言葉でも教えて下さったので、大変でも神様と共に最後まで頑張りたいなと思っています(^^)
MiK