私にとっての信仰ー困難を乗り越えて得た「宝」ー

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摂理の名古屋嬢MiKです☆

今週、鄭明析牧師は御言葉で「最後までしなさい。最後まで練達を受けて勝ちなさい」と伝えて下さいました。

「最後まで」 鄭明析先生のこの精神で、私も困難を乗り越えることができました。
今週の御言葉を聞いて感動があったので、その経緯を綴りたいと思います。

 

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私が摂理で信仰を持つようになったのは2012年。
もともと神様なんて絶対いないと信じていたところからの大転換でした。
色々と大変なこともありましたが、 祈り、御言葉を聞いていく中で徐々に神様の存在を確信し、神様を愛するようになっていきました。

 

摂理で信仰を持ってから1年ちょっとした時、 ある日突然、一瞬にして、私は全てのことが信じられなくなりました。
摂理で学んだ御言葉、いると確信するようになった神様のことまで、何もかも。

 

原因は分かりませんでした。
御言葉を思い返していたら、ある瞬間、今まで信じていたものが全く信じられなくなりました。
自分でもあまりにも衝撃でその状況が理解できず、必死になって御言葉を聞き直しましたが、聞いても聞いても御言葉を受け入れることができませんでした。

 

今まで「これが答えだ!」と確信して不必要なものは全て切って投資してきたのに、その確信を失ったから、私はまるで「根のない木」のようでした。

 

自分の状況を何とかしたくて必死に御言葉にすがり付くけれど、御言葉を受け入れることができないから、ある時は苦しすぎて目眩がしました。
酷い時は、御言葉を受け入れられない苦しさを通り越して、自分が今生きていることが「非現実」ではないかという錯覚まで起こすほどでした。

 

波はありましたが、いつも心の奥底に刺すような不安がありました。
心と精神が、まるで全身に針を刺されるかのような苦痛に襲われたこともありました。
あまりに苦しくて、何度も「摂理を離れようか」という考えがよぎりました。
そのとき、私を摂理に導いてくれた友人のことが浮かびました。

「私が摂理を出たら、悲しむだろうな…」

そう思って、考えに歯止めをかけました。

 

そして、過去に経験したひとつひとつの経緯を思い返しました。
今、いくら神様や御言葉を信じられなくても、 過去の経緯、そして神様を感じた思い出は全て【本物】だったから。
そして、自分が摂理の御言葉で得た【人生の答え】は、絶対に本物だと思っていたし、そう信じたかったから。

 

「最後まで」 鄭明析先生が下さった御言葉を頼りに堪え忍びました。

 

その間、信仰に自信を持てない劣等感から、酷い自己嫌悪に陥りました。

自分の信仰に自信がないこと。
自分が「救われた」と確信できないこと。
自分が「摂理の御言葉で変化した」と自信を持って言えないこと。

本当に、本当に、悔しかったです。

 

「何で受け入れられないんだ。何で悟れないんだ」 そう言いながら、悔しくて自分を殴りながら御言葉に向き合っていました。

 

「私を生かして下さい」 ひたすら祈りました。

先が見えない真っ暗な暗闇の中で、ただただ神様を呼び続けました。

 

そんなある日、 御言葉を聞いていたら、今までずっと信じられず受け入れられなかったことが、 本当に一瞬にして全て受け入れられました。

あまりにも衝撃が大きくて、思わず声を上げて 「あ—————っ!!!」と叫んでいました。

 

2014年12月。
御言葉を信じられなくなってから14ヶ月が経っていました。

 

その後も、自分がこのように信仰に問題を抱えたことが恥ずかしく、劣等感を感じて辛く思った期間もありました。

でも、今思えばこの艱難があったからこそ今の私があるし、 もがきの中で、鄭明析先生が伝えて下さる御言葉の価値、神様の価値を強烈に悟りました。
また、この艱難を乗り越えて、少々のことでは動じなくなりました。
そして何よりも、 神様と、鄭明析先生と、御言葉にすがって艱難を乗り越えたことが、私にとって本当に一番貴く何にも換えられない経緯になりました。

 

今では自信を持って言えます。
「鄭明析先生の御言葉で、私は救われた」と。

 

過去の苦痛、悔しさ、劣等感、全て乗り越えて、今では笑って語ることができます。

 

やっている途中、うまくいかず大変で難しくても、最後までやらなければなりません。
<最後までやるその、いい気質>で最後までやってこそ、「畑に隠してある宝」も見つけるようになります。
(摂理 鄭明析牧師 2015年12月16日 水曜日の御言葉)

 

この「畑に隠された宝」は、私にとっては「信仰」であり、「神様」であり、「御言葉」であり、「鄭明析先生」です。
私に艱難を乗り越える力を下さり、全てを共にして下さった神様と鄭明析先生に心から感謝します。
また、私が困難な時に支えてくれた摂理の兄弟姉妹に真実に感謝します。

 

人生においての苦難の期間は、将来のための練達の期間でもある。
最後まで堪え忍ぶ人だけが勝利できる。
神様と主を誰よりももっと愛し、忠誠を尽くす人でも、他の人よりもっと大きな困難、迫害、艱難がある。
それは愛するからもっと大きな御心を成すために受けているのだ。
(摂理 鄭明析牧師の御言葉)

 

MiK


ABOUTこの記事をかいた人

摂理の漫画家。イラスト、アニメ、マンガ等を制作。普段は医薬系の研究開発に携わる理学博士。2020年10月から個人サイト「光のアトリエ(https://cgm-artpiece.com)」に移行しました♪