神様と聖霊様と御子は「人間と経緯がある所」に歴史を広げる
人間も、何の経緯も、情も、条件もないところにいきなり家を建てたり、
何の経緯も、愛情が育まれる過程もない人といきなり結婚することはできない。
ましてや誰よりも常識的で順理的な聖三位はことさら、そうなさる。
主日の御言葉より以下抜粋〜
過去、泣き叫んで神様を探した経緯、
 真理を探し、正しい道を見つけるために願い求めた経緯、
 天を見上げて、神様がいらっしゃると信じて生きていた経緯、
 先祖や親が子孫や子供が栄えることを願っていた経緯、
 既成でイエス様を信じて愛して生きていた経緯
 世の中で生きて「いいものを食べ、いい暮らしをし、いい学校といい職場に行けば人生の目的を成したことなのか?」
 と考えて、「人生の虚無」を感じて神を探した経緯など、
 神様は<経緯がある人>を選んで、この歴史に呼んできます。

地球上に、聖三位と救い主と、経緯のない人は、いない。
愛されて生まれてきたし、救い主の祈りが全人類に注がれているのだから。
でも、本人がそれに気づいた時、
自分を愛するその瞳を認めたとき、
自分に差し伸べられていた手を握るとき、
聖三位と自分を救いにきた救い主との熱い経緯が、始まる。
地球を創造なさった神様のときめき、それはこのわたしを地球に存在させるため、
そのわたしと、愛し合うために、
聖三位はこの地球を創造なさり歴史を導かれ、
そして私のために、救い主を送った。
わたしと愛し合うために。
それに気がついたとき、
自分の人生がもっと経緯に満ちた、愛に満ちたかけがえのないものになるだろう。
地球を創造するまえから、つながっている、私への、聖三位の愛の経緯。
MG