御言葉を聞き生きていると実感する by nagano


こんにちは( ^ω^ )naganoです。
早いものでもう6月ですね。みなさんいかがおすごしですか?
naganoは最近完全に壁にぶち当たっておりました。
大きな仕事を任せてもらったんですね。職場でも、摂理での仕事でも。
でもそれに感謝して喜ぶことができませんでした。
なぜでしょうか?実際自分が望んでいたのに、です。
大きなことをしたい。
大きなことを成したい。
そういう考えを私は摂理で御言葉を聞きながら思うようになりました。
なぜかというと、鄭明析牧師の伝えてくださる御言葉にそれほどの威力があったからでした。
自分の価値観の完全な転換があったんですね。
今まで私は「まあ、そこそこ生きて、年老いて、死ぬんだろう。結婚も縁があればするかもしれないな」くらいの人生でした。ヒドイですね。神様からみたら「おいおい勘弁してくれよ(悲)」レベルの次元の低さ。(笑)
だけど御言葉はその自分の価値を完全に転換してくれました。
自分のこびりついた価値観を完全に転換できることなんて、それこそ奇跡です。
「自分はこの程度ではないんじゃないか?」「もっと何か、神様が私にして欲しいことが、大きなことがあるんじゃないか?」と摂理で信仰生活をしていく中で考えるようになりました。
だから、大きな仕事を任された時は嬉しかったです。「これか!」と思ったので。
でも、実際、その仕事と向き合ってみると、怖くなりました。
「本当にできるのかな?」「やりかたわからないし…」「失敗したらどうしよう」
自分の学びが足りないばかりに、どんどん不安や心配が溢れてきてしまい。
「できないかもしれない」
と考えるようになってしまいました。
これも自分の捨てるべき性根のひとつ、その名を『チキンハート』です。(笑)
でもね、学べばいいんです。失敗してもいいんです。私はもう一人で生きてるわけじゃないんだから。
2015年5月31日 鄭明析牧師 主日の御言葉
<神様の創造目的と願い>を叶えることは、『神様』がなさるのではなく、『作られた人間の中』からしなければなりません。
そのことをしてあげる人が最高に大きい人です。

御言葉を神様が与えた、ということは、神様の願いを託されている、ということだと思います。
神様の願いを叶えるための学びはどこまでいったって足りることなんてないし、本当に大きなことだから、失敗をしないなんてことはありません。
問題は、その失敗の壁にぶつかった後にどう立ち上がるか、です。
ただ落胆するでしょうか。傷ついたと不満をいうでしょうか。後悔ばかりでしょうか。
御言葉は違います。いつだって完全なポジティブなんです。私は仕事を任され学んでいく中で改めて御言葉の価値を実感しました。御言葉を聞いていくと自分の考えがどんどんポジティブに変えられて、いつの間にか壁を乗り越えていくんです。
だから学び続けて、そして伝え続けたいと思いました。
神様のいう、最高に大きい人になりたい。
そう考えを転換して、今の自分の人生に感謝したとき「うれしい」と心から思いました。
上のイラストはかなり前に書いたものですが、私が生活をする中で本当に大事にしようと実践していることです。
かなりまとまってなくて抽象的な感じになりました。(笑)本当に最近のフレッシュな出来事だったので消化しきれてないのかもしれないですね。( ´ ▽ ` )ハッハ
いや〜生きてますねー♪(´ε` )
あ、余談ですが、やっとイラストを記事に乗せる方法を学びました(笑)
nagano


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