去年、こんな学生に会いました。
「キリスト教の人たちはいい人たちだけど、
なかなか教えを信じることができないんですよね。。。。」
「キリストの復活とか永遠の命とか。。。よくわからない。。。」
ものすごくよくわかります。
わたしの実家にもそういう話をしにきてくれる方がいました。
わたしはそういう話がきらいではなかったし、
キリスト教の人が人格的なかんじがしていい人だと感じたので、
幼いながらも聞きましたが、
どうしてもよくわかりませんでした。
この肉体が永遠に生きることがそこまで魅力的におもえなかったんです。
永遠にずるずる生きるより、
それより何か成しとげて、この生を全うした方がいいのではないか、
とおもいました。
それにキリストの復活に関して。。。
死んだ肉体が生き返ったというのは。。。
そうか〜
としか言えないというのか、
それが事実だったとして自分にどういう関係もないから、
力を受けることもなかったんです。
でも
鄭明析牧師の御言葉は違いました。
聖書に記された、
キリストの復活、
永遠の命、
再臨、
引き上げ、
このすべてがひとつに繋がる御言葉だったし、
何より、
自分となにひとつ関係がないことがなかったです。
矛盾が見つからないです。
聖書にもあるように、
イエス様は、
旧約の預言を成就しに来ました。
次元を上げて働かれました。
旧約聖書にある「律法」を、
排するためにきたのではなく、
一層次元をあげられました。
イエス様がいらっしゃって語りだしたら、
「殺すな」という律法から、「心でも憎むな」
と次元が上がりました。
それまではそんな新しい御言葉はなかったけど、
イエス様が新しい御言葉を語ったから、
分からないことが分かるようになったし、
もっと人間の水準が上がったのは言うまでもないです
いま、わたしが、
鄭明析牧師に出会って、
こうして聖書にあるすべてのことを
わかって生きれることに感謝するし、
聖書に預言された、
いまの時代の価値にも、
自分の生の価値にも、
気づけたのは、すべて鄭明析牧師のおかげです。
これ以上感謝することってないだろう、
というくらい感謝しています。