遺伝子が私のためにあるのか、私のために遺伝子があるのか。

理科が子供のころから好きでした。

祖父母は農家だったので、
身近には自然と触れ合う環境がたくさんあり、
父親は機械のエンジニアとして働いていたので
買ってきてくれるオモチャは組み立てるものが多かったです。
そんな影響もあってか、
生物や、環境科学に自然と親しみを感じていました。
 
高校生の時に、生物をもっと勉強しよう、と決心し、
大学では工学部の生物工学科へ。
卒論は、遺伝子組み換えした大腸菌や酵母に、目的とするタンパク質をつくらせ、
目的のものを作られたかどうか判定する方法を見出す、という研究でした。
 
その時からずっと解けなかった疑問
 
遺伝子のためにあるのか、 
それとも
遺伝子のためにあるのか。
 
私という人間一人が死んでも、子孫には遺伝子が残ります。
私も、両親から遺伝子を受け継ぎました。
両親も、祖父も、先祖たちも。
 
生命体は、一つの細胞ができたところから始まります。
単細胞の生物、いますよね。
単細胞の中にも遺伝子があり、
単細胞が集まって、多細胞になり、
各組織に分化して役割を成していくのも遺伝情報によるものです。
すべては、遺伝子から始まる。
 
あれ?
私は死ぬのに、遺伝子が死ぬ(存在がなくなる)ことないんだな。
じゃあ、私は遺伝子の運び屋としてだけ、人生100年を存在するの?
 
そういう疑問が解けませんでした。
もちろん、大学の教授に話したところで、解決しませんでした(笑)
 
私が遺伝子の運び屋なんだったら、じゃあどう生きてもいいんじゃない?
私ががんばっても、がんばらなくても、いつかは死ぬ。
でも遺伝子が残っていく。
私が生きる意味ってナニ??
 
考えが深まるばかりでした。
 
 
そんな私が就職し、
ある一人の友人と知り合い、
その友人を通して、摂理の御言葉を聞くようになりました。
 
最初に聞いた御言葉が衝撃的で、今も覚えています。
 
人間には『霊』がある。
だから人生生きている間に霊的な投資をしなければならない。
 
と、『霊』について教えてもらいました。
 
『霊』と言うと、日本だと幽霊みたいなイメージですが、
聖書を根本に考えると、それはちょっと違います。
 
私たちには肉体があるように、霊体が存在していて、
肉体は肉的に投資したら素敵になるように、
霊体も霊的な投資をしなければならない、
と聖書をもとに教えてもらいました。
 
生きることに限界を感じていたので、
私に足りないのは「霊的な投資」だったんだ!と
自分の人生の疑問が解けた時間でした。
 
これがどれほど心の負担を軽くしてくれたことか。
生きるのが楽しくて
通勤途中に太陽を見ては神様が愛してくださっている!
と思ってニヤニヤ笑顔を隠せなかったほどです。
 
誰に聞いても答えを得られなかったこと。
そして問いかけることも諦めようとしていたこと。
その疑問に、最初の御言葉で答えをくださいました
 
 
そして、今も続けて答えをくださいます。
日々生きる中で難しいこと、息詰まることがあれば
御言葉に答えが必ずあると、今も体験中です。
 
これからも、現在進行形で、御言葉と生を繋げて解いていきたい。
本当に摂理に出会って幸せだ!と、毎日叫びたいです(笑)
 
 
人間を愛して創造してくださった神様、本当にすごいです♡