海外にいて、教会も近くになくて通えないのに、
どうやって信仰を守っているんですか?
と、ある摂理のメンバーから質問されました。
それで、ちょっと考えてみた。
でもよく分かんなくて、
うまく答えられませんでした(;・∀・)
そもそも、「信仰」って何なんだ?
これまで様々な名言を残してきた主人に聞いてみました(笑)
主人「人生そのもの。」 ←サラっと言ったよ。
おぉぉ、なんてかっこいいこと言うんだ、こやつ…。
一言で、核心ついちゃったよ…。
彼にとっては、人生そのもので、
いつでも、どこでも、誰といても、1人でも、生きている限り信仰は変わらないと。
くぅぅ~。かっこいいぜ。
具体的に言うと、
自分が救われたという観と
神様と先生への愛と信頼、とのことでした。
本当、そうだと思います。
信仰が熱いね!とか
信仰が冷めてきて…とか
時々教会で話しを聞きますが、
そもそも「信仰」というのが個人で定義が異なっているので、
自分がどう感じるかが大切であり、
一概に誰かが判断することはできないと思います。
つまり、自分と神様がどれだけ一対一の関係が作れているか、が大切です。
ただここで注意することは、
自分の感覚で何でも判断していい、というわけではなく、
御言葉を聞いてこそ、神様が願っていることなのか違うのかが分かるので
基本的には御言葉を聞いて、お祈りして判断することが必要です。
私の信仰、どんな風だったっけ?と考えて
これまでのことを振り返ってみました。
社会人2年目の時に伝道され、教会に通い始めた。
毎日1時間は祈り、御言葉の集まりには絶対に参加。
ダンス、伝道、様々に活動!
↓
結婚して、違う教会へ。
自分のことを知らない人たちの中で、人間関係構築から始める。
主婦になったので、日中は学生のようにフリーに活動。
↓
妊娠と出産 × 2回。
つわりなど体調不良で教会まで行けなくなる。
妊娠中は自転車禁止。
里帰り出産で、3か月ほど教会に行けない。
名古屋へ帰ってきても、赤ちゃんと生活するのことで精いっぱい。
いつも子供と一緒なので、なかなか御言葉にだけ集中することはできない。
教会全体の活動に参加できないことも多々。
↓
アメリカ、しかも教会がない地域へ。
一番近い教会も車で8~9時間かかるため、普段は教会へは行けない。
メンバーに会えない日々。
でもネットの恩恵により、日本とネットを繋いで御言葉を聞く。
御言葉を聞いて、みんなと同じく活動する!ことだけ重要視していたら、絶対に辛くなるしかない。
というか、辛くなりました。今も時々辛い。
でもね、状況環境を考慮して、できないなら仕方ないのです。
だから、
いる環境で、いる状況で、
その中で神様を探し、愛し、御言葉を聞いて、行う。
人生、何が起こるかわかりませんが、
自分が何をしたらもっと神様との愛を感じるか、研究する日々は変わらないでしょう~。
神様について教えて下さる方がいるから、本当に幸せです~。
信仰って何か、誰かと話しをしてみると発見がありますね~(*´▽`*)
(☝wikipedia より)
独身時に乗っていたバイク。
今は製造されてないらしい(;´∀`)
またいつか乗る機会あるかな~。