建築を捨てたこと byエステル

摂理の名古屋嬢、エステルです。

今週は主との経緯を振り返っています^^

このブログで書いてきたとおり、私は順風満帆な建築の道を歩んでいません。 常にもがき、しがみつき、主とともに建築の道を歩んできました。

 

建築の道を捨てよう!と本気で思ったのが、大学4年生。 既に大学院進学が決まり、卒業間近の3月でした。

鄭明析先生に出会った私の大学生活はとても有意義で、いつも笑いと感動、喜び、涙ともがきの生活でした。

その中で、建築の勉強も、莫大な時間と、労力と心を尽くして行ってきました。 だから、普通に考えたら絶対に建築の道を捨てるなんてできることではありません。

しかし、当時、とても落ち込んでいました。 私は建築に向いていない。 大学院に進学してもこんなに苦労したくない。 じゃあ私の大学生活はなんだったんだろう? こんなに建築にしがみつく必要なんてなかったんじゃないか。 だったら初めから、もっと摂理に投資してればよかった。 もし建築の道にいかないんだったら、どうしたらいいだろう。 私の個性はなんだろう? あ、書道の先生に昔なりたかった。 そうだ、書道の先生になろう!

 

様々な祈りと試行錯誤を経て、私は決心しました。

大学院進学をやめて、書道の先生になろう。 建築を捨てても神様がいるからいい、他の道に行こう!

 

先輩に話しました。

先輩「書道の先生になるにはもっと若い時からその道に進まないといけないんじゃない?」

 

両親に話しました。

私「大学院進学をやめて、書道の先生になろうと思っている。建築は向いていないと思う。」

父「どんな道にいったとしても、お父さんにとって、エステルは自慢の娘だ」

涙。。。 今まで優等生でいた自分は、いつの間にか肩書きによって自分を存在させていたのかもしれない、 そんなことを思いながら、神様の愛を感じた出来事です。

 

弟子入りをしようと思っていた書道の先生に電話をしてみました。

私「大学院進学をやめて書道の先生になろうかと思っている。どうやったら書道の先生になれますか?」

書道の先生「書道は年をとってからでもできる。今できる建築の勉強をしたほうがいいと思う。」

!!!!!!!!!!!!

 

この対話により、大学院進学を再び決心するようになりました。

結局、このようにして進学した大学院では、 「建築」の枠を広げ、そのおもしろさや価値性を見出だすようになりました。

そして、就活でも再び同じ思いにかられ、建築以外の分野も含めて試験をうけるわけですが、 最終的には現職場の建築の技術職として採用され、 新入社員400人中、なぜか代表に選ばれ、宣誓をし、新聞にまで掲載されるようになりました。

 

建築の道は果たして御心なのだろうか、いつも考えていた自分に、 神様が建築の道を進むことを、後押ししてくださった、そのような出来事でした。

なので私は、神様が与えてくださった建築の道だから、神様が与えてくださった職場だから いつも神様に栄光をきす思いで働いています☆☆☆

 

当時、社会人に向けられた御言葉の中でのお気に入りの御言葉はこちらです☆ (建築にはあまり関係がありませんが)

私の力を受けていつも生き生きしていれば、人々の方からあなた方の光に来るのではないか? 私の香りを放つ生き方をしなさい。それによって伝道もできる。むしろ効率よくできるようになる。

(2010年3月28日啓示の御言葉)

 

アーメン! 神様の前にすべてを捨てたからこそ、再び建築の道を得て、今があるのを感じています。

建築があったとしても、そこに神様がいなければ、何の意味があるでしょうか!?

これからも、神様を最優先にして、主の力を受けて生き生きとして、 建築の分野をとおして、神様、主の助けになって生きていきたいです★

 

画像:Mannam&Daehwa

URL:http://god21.net