摂理の新しい歌 ~讃美だって新しく変化~ by Nightingale

yjimageCAJ1OF3Z.jpg
ハレルヤ!Nightingaleです。
今日も感謝して歌います!♪~θ(´∀`●)
2015年は「新しくやりなさい」という御言葉が伝えられました。
日々、天の生きた芸術に力を受け、讃美し生きる中で
感じたことを一つ二つ。
芸術に完成はありません。
芸術の根本であられる神様が、限界が無い方だからです。
その神様のWで日々自分を神様のように作るならば、
肉体の限界がある人間であったとしても、限界がないということです。
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。(マタイによる福音書5章48節)

摂理で歌われる讃美も同様です。
一度発表された曲も、
神様の時に合わせて、歌詞が変わったり、リズムが変わったり、
日々、『新しく変化』しています。わぉ!
古い歌詞と新しい歌詞を見比べて、
時代の移り変わりを感じて、
「おおお(゚◇゚;)!!!」
と衝撃を受けたり、
「ヨロコヒ゛ーム!(●´∀`)ノ+゜*。゜喜+゜。*゜+」
が満ち溢れたり、
あなたたちにこのように変化してほしい、
という神様の心情を感じたりします。
まさに、進行中の歴史です。
神様に限界はなく、
神様に創造された人間も、
神様と共にするならばそこに限界はなく、
神様の芸術にも限界はないのです。
そして、私を摂理に導いて下さった鄭明析先生は、
誰よりも『日々新しく変化』される方です。
毎日を「これ以上できないくらい」「生きて」いらっしゃる方です。
人間が新しく変化するために、まず必要なのは、「認識観の転換」。
考えが新しくなってこそ、行ないも新しくなることができます。
しかし人間は、人間の考えの次元を抜け出すことはできません。
だからこそ、鄭明析先生を通して教えてくださる神様の御言葉が、
私たちを日々新しく変化させてくださる原動力になります。
時に合わせて行われる神様。
天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。(伝道の書3章1節)

時が流れて、あまり歌われなくなった讃美も多くあります。
歌われなくなった理由はなにか?
大きく二つあります。
①時が過ぎたから
メロディーがよくても、歌詞がよくても、
歌詞に書かれたその時が過ぎたから、
もう歌う必要がなくなったということ。
「今」「この時」に聞くべき御言葉を聞いてこそ
私たちの霊魂が生き返るように、
讃美もまた、
「今」「この時」に歌うべき讃美を歌ってこそ、
天の御心を知ることができるし、
御力を受けることができます。
こういった曲が、今の時に合わせてリニューアルされ、
再び歌われることもあります。
②摂理の新しい歌
摂理には鄭明析先生が作詞してくださった讃美が多くあります。
その歌詞には神様の歴史と経緯、先生の精神が宿り、そして芸術的です。
一言で表すなら「最高」です。
先生が御言葉を伝え初めた当時は、
芸術の専門家や、作曲ができるメンバーがまだ少なかったため、
一般的な曲に歌詞を当てはめて替え歌のようにして捧げていました。
しかし、
「それで本当に私たちの歌と言えるのか?」
「この時代の新しい歌だと胸を張って言えるのか?」
と、いうもがきがあって、
替え歌として歌っていた曲は一部を除いて全て凍結され、
全てが新たに作曲し直されて、今、続々と発表されています。
けれど、
メロディーが変わったとしても、時が流れたとしても、
そこに流れる神様の愛と心情、経緯、先生の精神は変わりません。
その讃美を通して、私たちは神様と出会い、歴史と出会い、
先生の精神を受けることができるのです。
摂理の新しい歌、ぜひ体感してみてください!