あたたかい心をあげられる人になりたいnagano

こんばんは!naganoです(^ ^)
今日もモリモリお仕事でした。
自分のしている看護って本当にハードなのかもしれん、とふと思いました。
一般の感覚がもうないのでちょっとよくわからなくて
日勤、日勤、夜勤、夜勤、夜勤、休み、日勤、夜勤……
とかいう勤務があっても
まぁ、致し方あるまい
って思って流していたんですが、普通の企業で働いてる人に話すと「え、なにそれ」な感じの顔をされました。
規則正しい生活がもう遠い過去の話になり、普通の生活の感覚を忘れていました。
忙しいし、あんまり考える間もなかったんですけど、でも、そういう反応とか、職場での先輩の「夜勤とかほんと体によくない」「勤務体制見直さないと」とか話を聞いてると、異常の見極めをちゃんとしないと体が壊れるな、と思いました。
まあ何が言いたいかって、自分の体と生活にちゃんと関心を持たないと、自分を守ることができないということです。
自己管理ですよね。関心を持たないと気付けないから考えることもしなくなるんです。
神様に対しても同じです。先生がおっしゃっていましたが、神様は機会(チャンス)の神様なのだそうです。
だから関心を持っていないと神様(チャンス)が通っても気付けないんです。
み言葉だって関心をもって聞かないと、心に残りません。耳を撫でていくだけ。
結局、考える機会を逃してしまうんですね。
以前先生が絶妙な例えで伝えてくださいましたが、関心を持ったら蟻でもすぐに見つけられるけど、関心がなかったら像が通っても気づかないんだ、と。極端だけどわかりやすいですね。(´Д` )
この関心って患者さんに対してもそうなんですよね。
先日、手術のあとのおばあ様の担当になったんですが
手術のあとってやっぱり痛いんですよね。
それに見知らぬ場所だから心細いし。
看護師さんバタバタしてるし。
機械の音いっぱい聞こえるし。
動けないし。
我慢しないといけないことたくさんあるし。
感じることって、どんなお年でも同じだと思うんですよ。
そういうのをね、無表情なお顔を見ながらふと考えたら、つらいだろうなぁ、と思って、自然に手を握ったんです。
そしたら、おばあ様のお顔が、ふ、と和らいで
「あなたの手、あったかいねぇ」
っていってくれたんです。
ひとことだったんですけど、それだけでいい、この仕事をしててよかったって実感したんです。
実は、摂理に来る前はこういうことはほとんどしませんでした。考えることもしなかったかもしれません。仕事をするロボットみたいでした。
でも、今は神様の言葉がいつも私を人間にしてくれています。
関心を忘れたら死んでしまう
考えることを忘れたら死んでしまう
愛する心を忘れたら死んでしまう
何が?
あなたの心が死んでしまう
関心を持つって本当に大事です。
こうして私を人間として生きられるように、いつでも関心を持って、私の個性に合わせて教えて、導いて、言葉をくださる神様にほんとうに感謝ですね。
神様や先生があたたかい心をくださったように、私もたくさんの人にあたたかい心をあげたいです。
nagano