以前書きましたが、摂理に出会う前、MiKは本気で漫画家やイラストレーターになる「夢」を持って努力していました。
高校時代に漫画(※ファンタジーバトルアクション少年漫画w)を描いて投稿し、特別賞取って担当編集者がついて、大学時代はほぼ全ての空き時間を漫画を描くことに投資しました。
イラストも投稿して入賞したことがあり、それをきっかけに、かなりのお金を注ぎ込んでイラストレーターになるための勉強を始めたりもしました。
そうやって「夢」に向かってもがく中でぶつかった壁。
それは「自分の個性とは何か?」でした。
もちろん、「絵が描けること・うまいこと」は「個性」ですが、世の中にはうまい人なんてごまんといるし、私程度の絵を描く人なんてたくさんいるわけです。
実際、漫画家を目指す人は多いけれど、その中で成功できる人はごくわずかで、多くの人はアシスタントから抜け出せなかったり、やっとの思いで連載を持っても読者の評価が低ければ「打ち切り」という形で終わったりします。
売れている作家さん、漫画家さんは何が違うかというと、
その人の「オリジナリティ」、つまり「個性」が他とは違うということ。
作品を見る人、読む人を惹き付けるような、こんなのなかったと思えるような個性。
私に決定的に欠けていると感じる部分はそこでした。
描いても描いても「なんか見たことあるな?」という絵しか描けないし、「なんか聞いたことあるな?」というストーリーしか生み出せませんでした。
さらに、読者の目を意識しなければならないため、自由に描きたいものを描けるわけでもありません。
本当に掴みたくてたまらない「夢」だけど、それを得るには実力が足りない。
そして、結局実力がなければ生き残れないという厳しい現実…
それでも「絵」は私の「個性」だからどうにかできないかと悩んでいたときに出会ったのが摂理でした。
摂理に出会って、漫画家やイラストレーターになるという「夢」が叶ったわけではありません。
でも、もっと理想的な形で成就しました。
摂理の御言葉は私の価値観を根本から変えてくれました。
何が一番大切なのか、何に本当に価値があるのかを正確に教えてくれました。
だから、漫画家やイラストレーターという「職業」に固執する必要がなくなったのです。
今は、神様の中で自由に絵を描いています。
本職である研究が忙しくて、たくさん描く時間がないのがネックですが(笑)、人を意識する必要もなく、ただ神様を愛して神様のために絵を描けばいいから、自由だし、楽しいし、幸せです。
以前は何を描こうか悩んでいましたが、今は描きたいものがたくさんできました。
聖書の中にこうあります。
真理はあなたがたに自由を得させるであろう。
(ヨハネによる福音書8章32節)
この聖書の御言葉のとおり、
真理、すなわち摂理の御言葉によって、それまでさまざまに縛られていた考えや執着、主観から抜け出し、自由を得ることができました。
鄭明析先生はおっしゃいました。
全能なる神様は
①今現在生きている70億の人たちと
②過去に生まれて、生きて死んだ数百億の人たちと
③またこれから生まれる人たちみんなを「個性」で生まれるように創造なさいました。
また、個性どおりに「才能」があるように創造なさいました。
<個性>は人それぞれ異なります。
人はそれぞれ顔も異なり、姿も異なり、心と考えも異なります。
これが「個性」です。
この「個性」によって来る<才能>もあります。
その「才能」はだんだんと成長するにつれて一層顕著に現れます。
その「才能」を時代に従って、自分が一層努力して開発しなければなりません。
(摂理 鄭明析牧師 2014年9月21日 主日の御言葉)
「自分の個性とは何か?」
多くの人が一度は考え、悩む問題ではないかと思います。
自分が分かっている「個性」もあるし、まだ見つけられていない「個性」もあると思います。
大事なのは、その「個性」を一番分かっているのは<自分>を創造された神様であり、また、その「個性」を一番貴く思い、輝くように開発して欲しいと願っているのも神様だということです。
そして、「個性」を一番輝くように開発する方法を教えてくれ、その機会や環境を与えてくれるのも神様なのです。
だから、神様に出会ってこそ、自分の個性をより一層輝かせることができるし、新たな個性を見つけ、開発することができます。
これからも神様の中で、もっと絵の個性を磨き、自分の中に隠されている「個性」の宝を発掘していきたいと思います♪
MiK