摂理って、異端なの?

こんにちは!おたあです(^^)/

今日は「摂理って異端なの?」という、疑問のお答えになればなぁと、ひとことふたこと綴りますぞ…🤗

 「異端」という言葉。そもそも、無宗教の人の多い日本では、中々馴染がない言葉なのかもしれませんね…!

 

「一般的に信じられ権威のある正統からはずれていること」(日本国語大辞典)

 

と、世の中では理解されています。特に、キリスト教において、異端云々が言われてきたようです。

 

さて「正統」なのか「異端」なのかどうかを、みなさんはどのように判断しますか…?

(信じる人の数…?社会の声…?何が…正しいのか…)

 

これまでの歴史の中から、ひとつふたつ、例を挙げてみましょうか…!

 

例えば、かの有名な、ジャンヌ・ダルクはフランスの英雄です。(おたあはよく、ジャンヌの伝記を読んでた…🤗)

(画像出典:Amazon

彼女がいなければ、現在のフランスは存在していなかったでしょう。彼女は、当時敵対していたイギリスにて「異端である罪」とされ、火あぶりの刑で亡くなっていきました。しかし、ジャンヌが亡くなった後、その異端罪は取り消されています。

 

また、もうひとり。イエス・キリストが、約2000年前のイスラエルに誕生し、教えを説いた時、受け入れて従う人もいました。しかし、当時はユダヤ教の祭司たちが社会を動かしており、彼らがイエスを受け入れられませんでした。新しい教えだったからです。迫害の結果、イエスを十字架にかけることになります。

出典:Wikipedia

(出典:Wikipedia)

イエス・キリストから始まったキリスト教も、当時、モーセの教えを基準としたユダヤ教を信じる人々・社会からすれば、ある意味、新しく興った「異端」であったともいえるでしょう。

 しかし、その後の歴史はどうでしたか。世界史で習いますよね。ものすごい迫害を各地で受ながらも、最後には受け入れられ、国教とする国も出て来るし、結局は全世界に広まるようになりました。世界の3人に1人はキリスト教徒といった割合です。当時、イエスを迫害した者たちからすれば、想像もできない状況なのではないでしょうか。

 

 ジャンヌ・ダルクや、イエス・キリストの例を出しましたが、その時に「異端だ!」といっても、後から「そうではなかった!」と、訂正されたり、逆に認められたりすることがあったのですね…🤔

 したがって、「正統かどうか」は、その時々の人間たちの脳みそや、社会的価値観だけで判断できるものではないということです。

 

 つまり「歴史」が証明するものでしょう。

 

 摂理が異端かどうかですか?それも、今後の「歴史」が証明してくれるものと、私は思っています。『聖書』をわかりやすく解いてくださる、鄭明析牧師の御言葉。私個人としては「これは本物だ!」と思ったから、いま摂理にいます。信じるかどうかは、結局は個人の自由意志です。

気になる方は、独断と偏見で批判する前に、ぜひ一度、御言葉を聞いてみてください。みなさんに害は与えないし、束縛はしませんよ…!!!来たりませ…!