私が摂理へ来ようとした時の話。

 

私は、社会人2年目で、会社の同期の友人を通して摂理の御言葉を学ぶようになりました。

それまで散々人生の問題の答えを探し、どこにも見つからない…と半ばあきらめそうになっていた時のことでした。

 

仕事はとても忙しかったし、いろんな趣味があったのですが、

必ず週に1回は御言葉を教えてもらうようになりました。

 

ちょうどその年、母が乳ガンだと分かりました。

リンパ節の近く、ということでもしかしたら全身に転移しているかもしれない、

腕の近くだから、術後に腕が使いにくい後遺症が残るかもしれない、

切ってみないと正直どれくらい大きいのか分からない、

と、いろんな憶測が飛び交う状況でした。

 

まさか、母が…というショックで、泣いて落ち込んでしまった

正しい知識もないから、不安がもっと大きくなっていたと思います。

 

摂理の教会のみんなにも母親のことを伝え、一緒に祈るようになりました。

自分のためにはあまり熱心に祈れなかったのですが、

母の命のために、本当に切実にお祈りしました。

 

ガンが転移していないように、

御心の人が執刀してくれるように、

手術全部が滞りなく進むように、

あとの放射線治療もしなくて済むように。

一緒に祈ってくれていた方が、看護師さんだったので、非常に具体的に祈ってくれました。

 

 

手術は12月半ばでした。

当時住んでいた神戸から千葉の実家へ帰り、母の手術に同行しました。

 

寒いはずなのに、その日はとても太陽がポカポカ照らしてくれていて、

手術している間は、病院の屋上でひたすら賛美してた私

 

病室は7階 (7は天の数)になり、

執刀医が、急きょ経験豊富な病院長に変更。 

昼間から三日月が見えていました。

神様と聖霊様が共にしてくださっている!と確信して、安心して待っていました。

 

手術は成功。

リンパ節への転移もなく、

切除したにも関わらず、その方の腕もすぐに上げられました。

術後の放射線治療もしなくて良い、という診断がなされました。

 

病室の窓からは、夕方に映える三日月が。

聖霊様が共にしてくださった!と涙が出てきたのを覚えています。

祈りを聞いてくださって感謝します、命を生かしてくださって感謝します…!

そう祈りながら神戸へ帰りました。

 

その後、しばらくして、

野外でのゴスペル・クリスマスコンサートを見に行きました。

 

私も何度か摂理のゴスペルに参加させてもらっていたので、見るのもとても楽しみでした。

実は、すごく大好きなお姉さんがいたんです。

メインボーカルで、出だしのソロパートを歌う方でした。

 

練習したときに、どうしたら上手になりますか?と聞いたときに

「声が小さかったとしても、真心を込めて歌うと上手になれるよ。」と。

技術云々じゃなくて、真心だと答えてもらったところが印象的でした。

 

当日、彼女は風邪で声がかすれていたんです。

出番前に話すと、ほんとかわいそうな位の声で…。

本番のために祈ります!と言って、みんなと一緒にお祈りしました。

 

本番、本当に透き通った声で歌っていて、今までで一番感動的でした…!

 

ふと、上を見たら、満月が。

満月のスポットライトが当たっているステージと、そのメンバーたちを見て

私もこの人たちと一緒にいたい!と切実に願いました。

 

その時から、自ら思い立って、趣味や人間関係など様々整理をして、

もっと摂理の御言葉を続けて聞くようになり、

摂理のみんなと一緒に過ごすようになりました。

 

 

その時からもう15年が経ちました。(母も健在です。)

 

何をしてきたか?って言われると、生きてきました!と答えるしかないし、

メンタルも、肉体も、霊も、生かしてもらった、と言うしかありません。

 

記憶力は良い方ではありませんが、

それでも15年前のあのときの感動は、今でも鮮明に残っており、

時々ふと思い出しては、胸が熱くなります。

あの時、あの選択をして良かった。

これは、私が誇れる最高の決断です。

 

これからもこの初めの心を忘れず、熱くいきたいと思います♡

よろしくね。