モチベーションの変化 「やらなきゃ」から「やりたい」へ。

 
モチベーションが
自己出発なのか、他からの出発なのか、で行う過程の心持ちが大きく変わってきます。
楽しくやれるのか、やれないのか、はこの出発点の違いにあるなと感じます。
 
もともと、人の顔色をうかがわないと生きにくい環境で育ったため (過去の記事)
この状況で自分がどうふるまうべきか、と無意識で察してしまうところがあります。
これは全部が悪いことではありませんが
「すべきこと」と「自分のやりたい心」とが重なっていない場合、やっている途中で苦しくなってしまうことがあります。
 
これをやってあげたほうがいい、というのが自然に見えてしまうため
自分がそれをできる状況と精神状態なのか、考えずにやってしまうことが多く…。
でも、何度も繰り返しながら、「やらなきゃ」なのか「やりたい」なのか、自分に聞くことができるようになってきた感じがします。
 
日々の生活の中で、もちろん「やらなきゃ」ならないことは多々あり
それをどう「やりたい」モチベーションで取り組めるか、というのも課題です。
 
食事を作って、片づけて、というところでは
キッチンにかわいい花瓶やお気に入りのポストカードを置いてみたり。
「やりたい」モチベーションへつながる工夫をしています。
 
 
さて、「やらなきゃ」とを全否定したいのではなく、
これも大きなエネルギーにもなりますよね。
責任感があり、最後まで達成する、という良い面にも繋がると思います。
 
ただ、それが行きすぎたり、「やりたい」気持ちを感じることを忘れてしまう
行き詰ってしまうようになります。
 
 
さかのぼること、私の高校生時代。
私は、チアダンスで日本大会で優勝しました。 
そして
実は2つ上の先輩チームは世界大会で優勝したツワモノでした( ´∀` )
 
つまり、そういう先輩のあとには、次の世代にかけられる期待と重圧はとっても大きかったです。
部活動中に取材の方も来ましたし、大会へ行くと他校の方から一緒に写真撮りましょう、
なんていうこともありました。
 
なので、その時の大会へのモチベーションとしては
優勝できなかったらどうしよう、という不安
優勝しなかいけない、という切迫感が強く
それらによって尻に火をつけるように練習に取り組んでいました。
 
大会前にジャンプの練習しすぎで疲労骨折しながらも出場したこともあります(;’∀’)
やりたい、という気持ちよりは、やらなきゃ、という悲壮感が強かったですね。
 
 
でも、この方法で結果が出てしまったから
この方法でやればうまくいくんだ!( ´∀` )
味を占めた私はそのあとも同じ方法で突き進みます…
 
受験に失敗したらどうしよう? 
大学のテストに落ちて留年してしまったらどうしよう?
就職うまくできなかったらどうしよう?
仕事でうまく評価されなかったらど(;´∀`)
 
不安、切迫感、悲壮感はずっと付いてきて
ついに就職して3年たつ頃にうつ病になってしまいました。
 
表面的には明るく、積極的で、目標に向かって頑張る子、という印象を持たれていたようですが
実は心は、いつも不安、切迫感、悲壮感が渦巻いていたんですね。
 
 
しかし、うつ病として発症する1年前に
キリスト教福音宣教会の御言葉を聞くようになり、私は少しずつ変化していきます
 
周りの状況、環境、人を読み取ってしまうのではなく
まずは神様が私に何をしてほしいのか、考えるようになりました。
それも、神様の愛を深く感じて、自分も心から愛して行えるように、と変化が始まりました。
 
うつ病の闘病はありましたが、神様の愛も知るようになっていたから
根本的な回復もできるようになったのだと、今は感じます。
 
 
今でも、悲壮感の芽は出てきてしまうこともありますが、
それに気付くことができるようになった、というのが大きいですね。
 
どんな苦痛と苦労も背負って乗り越えてこられている先生
 (キリスト教福音宣教会の鄭明析牧師のサイトはこちら。)
ただの我慢ではなく、その先にある希望を見て
純度100パーセントの愛で、自ら行われていることが
御言葉と、実際に行われている姿から、にじみ出て感じられます。
 
こんなふうに、自分が「やりたい」と思って、苦労と苦痛にも動じず行える人になりたい。
そう思って、私もその方の生き方に、少しでも近づけるように、日々を織りなしていきたいです。
 
 
 

ABOUTこの記事をかいた人

外資系勤務を経て摂理で結婚。アメリカで駐在妻生活5年を過ごして帰国。3人の子育てママとして、暮らしの中の出来事を書いていきます♡