私は摂理へ来てから、結婚の祝福を受けました。
結婚生活をしながら、深く悟ったことをお伝えします( ´∀` )♡
私は最初、
結婚したら、相手を通しての愛情こそ、
1番大きいはずだし、そうあるべきだーと思い込んでいました。
自分を通して、相手に三位の愛と主の愛を実践するべきだし、
相手も同じじゃないと!と思っていたのです。
でもこの思い込みによって、悩み苦しんだのでした…(- _-;)
もちろん相手を通して神様の愛を感じられることもありますが、
お互いの性格や方法論が違いすぎて、
理解するのも困難、歩み寄りも困難、
相手に変わってほしいことを変えてもらうことはほぼ不可能で した…Σ( ̄ロ ̄lll)
そんな中、あるひとつの出来事があって、
主人と雰囲気がピリピリしてしまったのです…
そんなピリピリの雰囲気の中、私は「和睦」 という賛美を歌い始めました。
「もう、私の力では解決できません、自分の考えを捨てるので、
聖霊様の考えで和睦できるようにしてください。」と祈りながら。
賛美しながら、
どこか、すがすがしい気持ちにもなっていって。
自分にできないことを委ねられたから、 重荷が軽くなったようでした。
賛美が終わった後に悟られたことがありました。
本当に自分の考えでは相手を愛することができない。
私の能力だけでは、この家庭を笑顔にし、 よく治めることはできない、ということ。
と同時に、
無知で無力な自分には、 神様が共にして助けてくださるから大丈夫、
とも悟られました。
その後、しばらく号泣。
(たまたま一人でいたとき。子供がいたらできないですね(-_- ;))
自分の中ですっからかんになって、
その中に「神様が共にしてくださる」 という悟りが大きく満たしてくれたのでした。
摂理の結婚って、
相手を通して愛をたくさん感じることもあるけれど、
なにより結婚生活を通して「悟る」ことの喜びが大きい!!と、悟られたのでした。
相手と自分との愛をなすというよりは、
神様と自分の愛をなす過程なんだなと。
摂理では結婚する人もいるし、
結婚 しないで独身の道(神様と結婚♡)を選択する方もいます。
どの道を行っても、自分を作る過程。
自分の道で、自分の位置で、御心を成せるようにと祈り、 またがんばります♡