<聖霊のもの、主のもの>になったということは、<肉>も<霊>
も「救い」を得、<霊>は滅ぼされず、「永遠な天国」を得るよう になったということです。
<聖霊と主のもの>になるためには、必ず「罪の問題が解決」されなければなりません。
<罪の問題>は「悔い改め」でのみ解決できます。
しかし悔い改めても、「その罪を贖い、許す人」がいなければなりません。
つまり「主」です。2018年1月21日 鄭明析牧師 主日の御言葉
今回の御言葉はとても深く、絵にするのがとても難しかったです。
「罪を許されたこと」がどれだけものすごいことなのか、どうやったら一番わかりやすく伝えられるだろうかと考えて、このような絵になりました。
罪があれば、救われて天国に行くことはできません。
御言葉にある通り、罪の問題を解決するためには悔い改めしかないのですが、
罪の問題は自分だけで解決しようとしてもできるものではありません。
罪を許してくださる方、「主」によってしか解決できません。
主が罪を贖い、許してくださることで、私たちの霊魂が天国に行けるようになります。
つまり、許しによって「救い」を得ます。
しかし、許しと救いは、ただで与えられるものではありません。
鄭明析先生はこのようなたとえで教えてくださいました。
肥溜めに落ちた人がいて、その人を助けるとします。
肥溜めに落ちた人は、汚物まみれなわけです。
そうしたら、その人を肥溜めから引っ張り上げてあげるとき、助けてあげる人にも汚物がついてしまいます。
主は、そのようにして命を救うのだと、先生は教えてくださいました。
自分の命よりも「その人」を愛するから、自分のことは顧みず、苦痛の中に飛び込んで行かれます。
その人が立てられない条件を代わりに立ててあげ、犠牲になってあげて、命を生かしてあげるのです。
簡単に「許す」のではありません。
気づいたかわかりませんが、
女の子を抱いて救ってくださっている主の衣は、汚れています。
これを描きながら泣きました。
心が痛すぎて、あまり主の衣を汚せなかったのですが、
実際はもっと凄まじいのだろうと思います。
地獄に行くしかなかった私たちを、
代わりにその苦痛を負って、
天国に行く運命に変えてくださったことが、
どれほど大きいことでしょうか。
このように書いていますが、私自身もまだ悟りが足りないと感じます。
真実に悟れるように、続けて祈っていこうと思います。
MiK
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