自分の直すべきところに気付いて直せますようにと祈るようになっ て
気が付いたことがあります。
ひとつは『どうせ私は』という考え。
どうせ参加したって、うまくできないだろう…
どうせやっても、なにか得られるわけじゃないし…
どうせ頑張っても、満足するほどできないだろう…
どうせ、どうせ…
そうやって、自分の小さな「やりたい心」に足かせを付けて
行うことをどれだけやめてしまったのだろう、と気付きました。
『どうせ私は』という考えは、誰かの考えも自己主観で決めつけて
私自身を縛り付けている、ということもあります。
どうせ私のこと好きじゃないだろう
→ 自分も相手も大切にできない
どうせ分かってもらってないんだろう
→ 分かってもらうことを諦めるし、相手からの好意も素直に受け取れない
そして、人に対してだけではなく神様に対しても同じだと、気付きました。
どうせこんな私は神様から愛されるわけがない
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
神様がたくさん愛してくださっているのに
自分の考えの殻にこもって、受け取ろうとしないから
ますます神様の愛が分からなくて負のスパイラルです…( ;∀;)
これまで信仰生活を20年近くしてきましたが
実は神様の愛を受け取れず、 逃してしまったことがどれほどあったのだろう…
と申し訳なくなります…(´ー`)
では、どうせ…という考えはどこから生じてきたのでしょうか??
自分の過去を考えてみると
「どうせ誰も助けてくれない」という言葉が強く心に響いてきました。
育ってきた家庭環境を思い返したとき、
残念ながら、私の話しをじっくり聞いてくれる人が周りにおらず
ありのままを愛されているという安心感は得られず
勉強など何かができたら評価され
できなければ「頑張ればできる」と励まされ( もう限界までがんばっているのに)
家の中では親や祖父母の間でケンカがしばしばあったため
家族の機嫌を取らねばならないと感じて過ごし
相手の気分によって自分の感情がジェットコースターのように動い ていました。
それを考えると、もうしょうがないよねって思いました…(;’∀ ‘)
自分の考えを大切にできる状況ではなかったし
相手のために何かしても解決できないことも多かったです。
どうせ話しても、どうせやっても…という考えになるのもしょうがなかったのだと思います。
でも
そんな中でもよく生きてきたし
自分でなんとかするしかないと思って、なんとかやってこられたし
(人に助けを求めるのは今でも苦手です)
大人になって神様について正しく学んで、信じるようになってから
必要な体験をさせてくださり、必要な人を通して教えてくださり
氷が少しずつ溶けるように、 心の傷が少しずつ癒されてきました。
信仰生活をする中で
自分を見つめ直す機会が何度もあり
今回も改めて、自分の捨てた方がいい考え方を見つけたのでした。
見つけちゃったから
これからは『どうせ…』と思ってると気が付ける頻度が上がるだろうし
気が付いたなら、頑張ってきたよね、でももう違う考え方をしてもいいんだよって
自分を労わって、次のステップへ進みたいと思います♡
ここからは、余談ですが
自分の直すことを見つけた時、 自分の中に大きな穴を見つけたような感覚になります。
自分の心の土地にぽこっとあいてる大きな穴。
穴を埋める作業がまたとっても大変…!(;´Д`)
私の夫は、とても自己肯定感が高く
自分のやりたいと思ったことを選択して行動する力がある人です。
そんな彼を見ていて、彼の心の土地には 穴がなくて(愛情で満たされていて)
その土地の上に、建物を素敵に建てているように見えたりします。
だから、とってもうらやましくて、ずるいーとか時々思っちゃいます。
でも、彼は彼の位置で、もがいていることがあるのかもしれません。
(夫は私にはあまり話さないから、実際は分かりません 笑)
それでも、自分の心に穴があることを発見できたから
あとはその穴(考え、記憶)をよく観察して
祈って、神様の御言葉に静かに耳を傾けてみるようにします。
神様の御言葉で、神様の愛で、たくさん心の穴を満たしたいです♡
お祈りは得意じゃないけれど、挑戦する甲斐があるのは確信しています。
だから、毎日挑戦…( ´∀` )
祈りで、自分の心を見つめ直し
祈りで、自分の考えを全部出して
神様はきいてくださるから安心して祈って
これからも直すべき考え、 捨てた方がいいのに癖になっている考えに気付いて
背負っている心の荷物を下ろして、 心軽く生きていけたらいいなー
長文読んでくださってありがとうございます。
あなたの心の健康のためにも、お祈りしています♡