自分の素直な感情〜摂理って洗脳する宗教?〜

遅ればせながら…明けましておめでとうございます!一月も早いもので、半分過ぎましたね…!🏃‍♀️

おたあでございます^^今年もよろしくお願いします!

 

 

昨年は、色んなきっかけを通して、自分を見つめ直す機会をもらいました💡記事にしたいことも色々あり…🤭

今年は、去年よりもコンスタントに、更新できたらな…という思いです^^

 

 

 

早速、今回のおはなしは…✏️

まず、タイトルの「自分の素直な感情」について。

 

 

昨年末に書きました、こちらの記事で、

自分が、家庭環境の中で知らずのうちに抑えていた感情があったことに、気付いた話をしました。

親も悪気は無く…!親が育ってきた環境のあれこれ、両親が受けてきた心の傷があったことに気付いたのでした。

 

親の気持ちと、自分の素直な気持ち。でも、表現せずに無かったことのようにして、終わらせた気持ちなどなど。

当時の状況を、俯瞰したような体験をしました。

 

 

そして更にまた、

日頃の子育てを通して

 

 

御言葉と自分について

いわば

神様に対する自分の姿勢について

考え、気付きを得るようになりました。

 

 

 

例えば

聖書の御言葉は、「しなさい」「するな」という様に、はっきりと表現されます。

例を挙げると、憤ること、怒ることについて…

 

「すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。」エペソ人への手紙‬ ‭4‬:‭31‬ 口語訳‬

「怒りをやめ、憤りを捨てよ。 心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。」詩篇‬ ‭37‬:‭8‬ 口語訳‬

こんな聖句があります。

 

結婚し、子育てが始まる前まで、殆ど怒ることはなかった私。

 

しかし、子育てが始まってからと言うものの…どうしても怒っちゃう😭自分がいて、すごく悩みました(今もです!笑)

 

そして、怒っちゃいけない❗️怒らないようにしよう❗️と頑張って、頑張って…抑えて、でも怒っちゃう😇チーン

 

 

育児本などを読むと、よく「子どもの感情をまず、否定せずに受け止めてあげましょう」という文言をよく見るし、、

でもちょうどそんな時、先ほどの、昔の素直な感情に気付けた体験をし、

 

 

じゃぁ、今の私自身の感情は??

今の自分にフォーカスを当て始めました。

 

(また、親との関係性などから、自分が多少、アダルトチルドレンの傾向がある事に気付き、その分野の本も読んだりもして、自分の心理傾向を改めて見直す機会も頂きました。)

 

 

 

ついつい怒ってしまった時、自分がどうして怒ってしまったのか、どの様な気持ちから、イライラしてしまったのか…という点に、ほぼ目を向ける事なく

 

「怒ることは、いけない事だ❗️次は怒りません❗️」…のような感じで、神様に悔い改めて祈っていた事に気付きました。

 

 

しかし、それだけでは、無意味だと気付きました。本当の変化や成長が出来ないのだな。

(怒る事を肯定するのではないですが、怒りの感情も、何かのサインを示すために、創造されたもの。)

 

 

 

神様は絶対的な存在で、その御言葉も、永遠不変な真理です。

 

しかし

「自分の感情を全く!無視して

そのまま、神様の御言葉に聞き従うのは

神様からご覧になって、本当の意味での御言葉実践ではなかったのか…

怒りの出発点になった気持ちを、まずちゃんと見つめ、認めなきゃ。」

…という悟りを得ました。

 

 

鄭明析先生が、過去にこんな御言葉を伝えてくださってました。

自分について、いつも神様と対話をすべきです。そして神様、イエス様に対話をする。

(中略)

そういうふうにして対話したら解けるのです。

(中略)

私はこういうことまでしました。以前教会に通った時に、「イエス様、私はこういうことを考えました。イエス様、分かりますか?」と聞いたら、イエス様が笑って「あなたが知っているように私も知っている。しかし、『それを祈りなさい』ということだ。それが決まりだから」とおっしゃいました。

心の中で思っているだけでは駄目でしょう。話をしなければならないでしょう、対話を。対話をする必要があります。

心で思っているだけでも神様はご存知です。しかし、「神様」と呼んで話すべきです。

(2005年3月27日の主日の御言葉「祈りのしるしを起こそう」より)

 

 

自分の気持ち、一つ一つを確認し

神様に告げつつ

神様と生きていくのだな…🥹

 

消化出来ない気持ちが残っていると

後から、どこか、感情の歯車が⚙️回らなくなるものだな。

 

実は、神様は自分の心や考えをよくご覧になっている(自分よりも自分の内面をよくわかっていらっしゃる🤭)けど、自分で言語化して告げることの大切さを、痛感したのでした。

 

ただ「すみませんでした!悔い改めます!」ではなく

「あの時、本当は、子供たちを危険から守りたくて、すごく感情的になってしまいました…。」など、自分の行動の裏にある、素直な感情を、細かく一つ一つ告げるようにしています。

そうしていると、自分が捨て去るべき考えの癖などを、祈りの中で、もっと気付かせてくださり

自分、次のステップにいける!すごく前向きな気持ちになります♪

 

 

神様は愛のために

私たち一人ひとりを

創造された(参考記事はこちら)。

 

 

 

本音を神様に告げて

ひとつひとつ解決してこそ

神様とも心一体になれて、本当の関係が築けるのだな❗️

(人との関係もそうですよね)

 

相手は人間ではなく

ましてや、全能者神様。

(神様が、人間にとっての最高の【安全基地】なのだよと、教えてくれたメンバーもいました^^)

自分の素直な思い、祈りで告げると、受け止めてくださっている、安心できる…そんな感覚があります。

 

 

このように

摂理に来て

自分自身気付けていなかった、

本音にも気付かせてもらいました。

 

その上で

神様に告げられるようにまでしてくださった。

 

 

神様がどれだけ愛の方か、と、なんだかスッゴク感動したのでした。

 

 

 

…だから

 

 

ここで、最初の副題に戻り、少し話を転換させます😂🙏

私自身の体験からすると

「摂理が洗脳する宗教」というのは、本当にありえないなあと、しみじみ思うのであります。

 

 

鄭明析先生も、素直な思いをいつも天に告げつつ、色々試行錯誤しながら(例えば、故郷月明洞の開発エピソードなど)、神様とイエス様と愛を育んできております。

 

色んなエピソードを、教えてもらっていたのに😂!神様の前でまで、変に自分の感情を無視した「優等生」になるところでした。

(寧ろ、自分の狭い視野や間違った考えによって、マインドコントロールしそうになっていたのではないかw)

 

 

摂理は

自分の素直な気持ちや本音を、自分が気付かなかったところから、客観的に(神様の視点で)見つめ直せるようにしてくださる、凄いところです。

 

私自身の体験から、摂理において、無理強いはありません

 

素直に何かをやりたい心・やりたくない心…時には「御言葉通りに行うのは難しいです!」など笑、自分の気持ちを告げると、神様は「そうか」と、聞いていてくださるのを感じます。

そして、自分が反省すべきところは、身に沁みるようにして(時には衝撃も伴いながらw)、自分の時に合わせて、悟らせてくださいます^^

 

神様とイエス様と、どのようにしたら真実な関係を築けるのか、今もなお、ご自身の実践を通して、教え続けてくださっているのが、鄭明析先生なのです☆いつも、本当に感謝します!!