
今まで書いた記事を読み返してみました。
そしたら自分のことを愛らしく思いました。
この時は解決した!と思って書いたことも、
実際はもっと根深い問題が隠れていたり。
でも神様と一緒にひとつ乗り越えて嬉しくて、
文字にして書き起こしたんだろうなあ。
今までたくさん自己分析を繰り返しながら、
自分を直してきたつもりだった、けど。
その根本は長所を伸ばすためというよりも、
わたしの短所をありったけ掘り出して、
「ほらここ、全然できてないね。」
「こんなこともできないんだね。」
と言い続けて自分を虐待していました。
友達には絶対に言わないひどい言葉を、
自分には容赦なくたくさんぶつけてきた。
でも全然自分では気がついていなくて。

神さまに頼ることも、
知ってるはずなのにできてなかったです。
人にも神さまにも頼ることが怖くて、
心から委ねることができませんでした。
親に心を許せなかったからとか、
過去にトラウマがあるからとか、
色んなことを考えてみたんですが、
結局は御言葉で何度もいうように、
自分の考えが根本の問題だと悟りました。
「自分に価値がない」と洗脳したのは、
考えに刷り込んだのは、自分だったのです。
どれだけ神さまがわたしのことを愛していても、
友達がわたしを大切にしてくれていても、
わたしが勇気を出して何かをやり遂げても、
底にぽっかり穴の空いた鍋みたいに、
なんにもなかったことにしていたのは、
まぎれもなくわたし自身でした。
気がついた時、今までよりもっと深く、
神さまと自分に申し訳なく思いました。
考えの偏りがあると気が付いたから、
自分への言葉に気をつけ始めました。

ある日、
鏡に映る自分がにこっとしました。
それを見たらわたしの頭の中に、
自分のいいところがたくさん思い浮かんで。
「もしこういう人が近くにいたら、
わたしは友達になりたいなあ。」
という考えがふっと降りて来ました。
その考えに、心がじーんとしました。
自分にそう思えたことがすごく嬉しくて。
神さまを信じて、御言葉を信じて、
自分を諦めなくてよかったと思いました。
神さまがいなかったら、
一生わたしは誰にも心を開くことなく、
自分にこんなにいいところがあると知らず、
狭くて歪んだ考えに篭ってたでしょう。
正直いうと生きてたかも怪しい。。
でも、無条件自分を愛してくれる存在を
先生が御言葉で教えてくださったから、
神さまとわたしが出会うことができた。
自分の考えの歪みにもがきながらも、
一所懸命に御言葉を学んでついていって、
周りの人や環境を通しても、
惜しみなく助けてもらいながら、
今ここまでこれたなあと思います。
ほんとうにたくさん感謝を返したい。

解決したとかいって、
またそのへんの小石につまずいて、
転んで泣いてたりもすると思いますが。
すかさず神さまに助けを求めて、
あらいざらい自分のことも話して、
不安なことも神さまに委ねながら、
また起き上がって進みたいと思います。
こけたことは、必ずなにかの役に立つはず。
摂理で自己磨き、おすすめです。