死について考えた話。

わたしは高齢者と呼ばれる年齢の人が大好きだ。

この仕事をしながら、たくさんの人と出会う。

わたしの人生の何倍も長い時間を生きて

今のような便利さがなかった時代でも

懸命に生きてこられた方々。

学ばなければならないことが本当に多いと思う。

 

こう表現すると人生の先輩に失礼かもしれないが

可愛らしさに悶絶するような場面もあるし

年齢と共に失われた記憶や理性があったりもするが

時折見られるその人らしさに心温まることも多い。

それを引き出せた時、わたしはやり甲斐を感じる。

 

 

わたしよりも半世紀ほども先に生まれて生きる人。

だから肉体の終わりが、遠くない未来に控えている。

 

 

顔や手にあるシワや

 

昔よりも軽やかには動かない体だとか

 

ベッドで眠る時間が長くなっていくことだとか

 

一直線になった心臓の鼓動を示す波形だとか

 

 

そういったことと対面する機会の多いこの仕事で

決して死が、自分に無関係でないと思い知る。

この若い時がずっと続くように感じるけれども

人間は毎日老い、死に向かって歩んでいる。

莫大な富があろうと、国の重要人物さえも

誰ひとりとして避けることのできない死。

けれどそれを口にすることははばかられ、

なんとなく避けられ、隠されている。

 

空になったベッドを見ながらいつも思う。

死はその人ただひとりで行くものなのだと。

その人の持ち物、お金、なにひとつ、指輪1つさえ

その先の道へ持って行くことは絶対にできない。

 

ではこの人生を生きる意味とは何なのかと。

考えを巡らせてみる機会になればと願う。

 

この職業をもらい

神さまの愛する人のために祈れること感謝します。

 

 

 


ABOUTこの記事をかいた人

看護師をしながら感じたこと、内向的な個性を生かすライフハック、わたしの日常のことなどを書いていこうかと。写真は趣味程度。時々イラスト。