摂理にいると、神さまとの愛の経緯を聞く機会がたくさんあります。
恵み深く、感動する時がある一方で、
聞くのが負担に思う時がありました。
素直に聞けない時がありました。
自分自身が愛の経緯を話すこともあります。
でも
どこか自信をもって話せませんでした。
証をしながら、心のどこかで引っかかるものがありました。
そして、この2つの感情の答えを得ました。
「特別であること」「愛されること」に対する抵抗感をもっていることに気づきました。
神さまが自分ひとりに働きかけてくださっていること や 自分一人を愛してくださっていること、
このことを申し訳なく思う心、「そうあってはいけない」という罪悪感をもっていることに気づきました。
誰かが愛されていることに対して、うらやましく思う心があったし、
自分が愛されていることを話すのは、自慢しているようでなんか嫌だと思う心もあったように思います。
自分が特別であったら、
自分が愛されたら、
他の人が特別ではなくなって、愛されない気がしていました。
神さまの愛は一人ひとりに注がれる、一対一の愛なのに。
わかったつもりでいたけど、わかっていなかったんだなーと思いました。
なんでこういう考えをもっているのかと考えたら、
人生を生きる中で
「みんなと同じでなければいけない。」
「はみでてはいけない。」
「自分を表してはいけない。」
という考えをたくさんしていたし、
そういう考えで教育されてきたからかなーと。
「出る杭は打たれる」という言葉もありますしね(´・ω・`)
個性が死ぬしかない考え方ですよね・・・。
自分の愛の道がある。
その道を一生懸命行きなさい。
個性の愛の勝利をしなさい。
〜2018年10月10日 水曜礼拝の御言葉「個性の愛の勝利」
「自分だけが特別に愛されていてよいのだ。
他の人も一対一で、特別に愛して、特別に大切にしてくださる神さまだから。
神さまの愛は、私を最高に大切にして、最高に愛してくださる愛だ。」
そう思いました。
全世界どこをみても同じ人が一人もいないように、
同じ愛はひとつもないのです。
わたしが捧げる愛も、わたしだけができるから、特別でいいのです。
自分の愛を思う存分、表せればいいのです。
そんなふうに思わせてくださる御言葉でした。
愛について正しく知らないといけないな。
まだまだ学ぶ必要がありそうです。
わたしだけの愛。特別なわたし。