突然ですが!
私は周りの人のことがとても気になる性格です。
人の言葉が気になるし、
人の表情が気になるし、
人の醸し出す雰囲気が気になります。
「ああこの人苛立ってるなぁ〜」
「大変そうだな」
「嬉しそうでよかった」
とかいろいろと考えます。
これは私の長所でもあり、
短所でもあると思っています。
よく言えば「気遣いができる」
悪く言えば「自分がない、軸がない」
って感じでしょうか( ´・ω・)
この間、大学の授業で心因性症状について学んだのですが、
先生がこんな話をしてくれました。
周りの人が気になる人、たくさんいますよね。
気遣いができる人かもしれません。
優しい人だと言えるかもしれません。
でも「気遣い」とは何でしょうか?
「自分がどう思われるか」が不安で心配で自分のことばかりを考えている人は「気遣いができる」とは言えないのではないでしょうか。
「うむ、確かに」と思いました。
「うおー私のことだ」と思いました。
自分について深く考えるようになって、
「ああ、私は気遣いができる人ではあると思うけど、
『自分がどう思われるか』を心配している時は気遣いができているのではなくて、ただ自己中なだけなんだな」
と悟りました。
そして
「果たして誰かに嫌われたり、怒られたりすることは、そんなに悪いことなんだろうか?」
と考えてみました。
すると、神様が
「あなたが周りの人から嫌われたり、
避けられたり、
何か悪く言われたりしても
あなたの価値は変わらない。
私は変わらずあなたを愛している。」
とおっしゃってくださっている感じがしました。
私の価値は周りの人が決めるのではなく、
ただ神様だけがわかってくださるものなのだ!
と悟られて、
「ああ私はなんて無駄なことをしていたんだ!」
と思いました。・゜・(ノД`)・゜・。
と悟ったものの…
この性格で25年以上生きてきたので、そうそう簡単には捨てられないのが現実…(笑)
今日も、ある人のちょっとした言葉に傷ついて、
もやもやしておりました。
「主よ〜〜傷つきました〜
弱い私は嫌です~(´;ω;`)」
と言っていた時に、ある御言葉を思い出しました。
強くても弱くても最後まで行きなさい。
2016年10月20日 摂理の主日の御言葉
アーメン!そうですよね!
弱くても最後まで行きます!
と決心したら、また御言葉が思い出されました。
<主>を正しく知りなさい。
畏れおののいて仕えなさい。
<主>を正しく知らなければ、幼子程度の力しかない。
一人ででも絶対信仰を持ち、
もし疎外感を感じることを言われても
倒れることなく行かなければならない。絶対に「不屈の信仰」だ。
2016年10月20日 摂理の明け方の箴言
「本当にそうですよね!アーメンアーメン!」
と、
この御言葉を繰り返し自分に言い聞かせていたら、
モヤモヤした心がスッとなくなって、代わりに力と喜びが湧き上がってきました。
本当に不思議な感覚でした。
いつもの私なら寝る時まで、いや、明日以降も何度も思い出しながら、ずーーっと根に持っていたと思います(笑)
私が弱くても、強い神様が共にされるから大丈夫。
強い神様の精神であるミコトバを自分のものにして、Stella、生まれ変わります…!
脱!弱い自分!
脱!人の言動に振り回される自分!

弱い自分なんてぽーいっ!