今日は日曜日☆

神様を信じる人たちにとって日曜日は特別な日です(*^^)

「主日」とも呼ばれるこの日は、みんなで集まって賛美をしたり、お祈りしたり、みことばを聞いたりします!
いわゆる「礼拝」「ミサ」と呼ばれるものですね。

人間は神様の愛の対象体、もっとも愛の燃えている新郎・新婦の関係だと言われています。
礼拝はもっとも神様と近くなれる時!
婚宴パーティーのようなものなので、男性も女性もみんなオシャレに装います♪

 

私も出来る限りキレイめな服を着たり、アクセサリーをつけたりしますが
今日は「雨だから濡れるのやだな…」という考えがよぎり、合皮の黒いスニーカーを履きました。

駅に着いてよくよく自分の姿を見たら、スカートでキレイめな服装なのに足だけスニーカーというチグハグさに気がつきました(O_O)

気づいてからというものの、靴が気になって気になって

「ああなんて残念な格好…。濡れてもいいからパンプスとか履けばよかった。今日一日これを気にして生きるのかわたし!!」

と後悔ばかりがつのりました…。

 

ふと聖書の聖句が思い浮びました。

「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭5:48

わたしは正直この聖句があまり好きではありませんでした。
負担に感じたし、受け入れがたい聖句の一つでした。
完全さって何か怖い感じがしたし、少し抜けてるくらいの方がいいんじゃない?と思ったりしました。

でも今日の私の服装を通して、

「完全でないって自分が苦痛なんだよな〜」

と考えるようになりました。

 

人は実は「完全」さをすごく求めてるんじゃないかなと思うんです。
車に不具合があればリコールするし、
食品に異物が混入していれば訴えるし、
もっと身近なところでは
靴紐がほどければ結ぶし、
服が汚れたら洗濯をします。

こう考えると完全さってホント大事です。

でも、人は自分自身のことになると、「完全」であることに対して無頓着になってしまう。
それは上にあげた例のように、目に見える形でハッキリと見えないからかもしれないし、
完全である方法や直す方法がわからないからかもしれない…。
それと、自分を直したり、つくったりすることって根気がいることだし、自分が「当たり前」にしているようなことや考え方を捨てることだから苦痛を伴うのも大きいな理由かもしれません。(私の場合はこれでした 笑)

チョンミョンソク先生は次のように教えてくださいました。

環境も、自分自身も、「完全に作っておいてはじめて」その時から苦労が去っていき、甲斐で、喜びで、楽だ。

各自苦労しないで苦痛なく生きるためには、苦労しても早く<自分>も作り、<環境>も作りなさい。

自分の悪い習慣、癖、悪いことをすべて直し、「作ってこそ」、苦労もせず、心を悩ませることもなく、心配もしなくなる。

一度直して作ってしまえば、それからは苦痛がなくなり楽になる。
「完全でありなさい」というみことばは、神様が私たちをあまりにも愛して、喜びで生きられるようにと話してくださったプレゼントだったんですね。

まずは自分の直すべきところを気づくことが大きいです!
私のスニーカーのように(笑)

家に帰ってスニーカーを脱ぐ時までは苦痛が続きそうな今日このごろです…。

kutu